- Date: Sun 14 06 2020
- Category: 歴史
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海外「技術力高すぎ…」奇襲本土爆撃!アメリカ軍が恐れた日本の潜水空母『伊四百型』に海外興味津々(海外反応)
海外「技術力高すぎ…」奇襲本土爆撃!アメリカ軍が恐れた日本の潜水空母『伊四百型』に海外興味津々(海外反応)
投稿者
「潜水空母」伊四百型
1945年8月、世界は大戦の終了に沸き返った
そんな中、太平洋ではアメリカ軍が不思議なものを発見した
アメリカ海軍は日本海軍の潜水艦を阻止したのだが、その姿は今まで誰も見たことがないものだった
それは世界一大きな潜水艦であっただけでなく、まったく新しい形の兵器だった
魚雷潜水爆撃機を発射することができる潜水艦だ
アメリカ軍は、偶然日本の重大機密である潜水空母に出くわしたというわけ
そして程なく、戦局を全く逆のものにしたかもしれない秘密の計画を暴くことになる
日本が奇襲をかけた真珠湾攻撃は、アメリカを震撼させ、第2次世界大戦への関与を避けられないものとした
真珠湾攻撃の翌日、アメリカは日本への宣戦布告を行う
アメリカは迅速に準備を始め、軍需産業を振興し、程なく日本の軍備力を凌駕するようになった
アメリカにとって、真珠湾攻撃は無意味で卑怯な挑発行為だった
しかし、日本にとってこの攻撃は全く違う意味を持っていた
アメリカとの全面戦争を避けるために、長期的視点に立って計画された、大きな賭けだったのだ
アジアでの侵攻を続けていた日本は、アメリカがこれに待ったをかけるのは時間の問題だと考えていた
真珠湾攻撃の首謀者山本五十六は、一度の攻撃でできうる限りアメリカ軍に打撃を与えることを目指した
太平洋地域でのアメリカ軍の介入を、少なくとも6か月は遅らせようとしたのだ
アメリカからの停戦提案が出れば、儲けものだと考えていた
しかし、大日本帝国はアメリカを酷く過小評価していた
真珠湾攻撃後の混乱の中で、山本はアメリカがすぐに日本をしのぐであろうと予測した
勝ち目のない戦争が目の前で起こりそうな局面で、山本は次の作戦を立てる
アメリカが太平洋での戦争に身を投じるのを避けるために、アメリカ本土を攻撃することにしたのだ
しかし、アメリカは既に日本に対する防衛線を強固なものにしていたため、山本には敵の目からは見えない兵器が必要だった
アメリカが疑いを持たないようなものだ
潜水艦から爆撃機を発射するという考えは、第2次大戦前から始まっていた
しかし初期の試みは、軽量の小型セスナ機1機のみという実験的なものに過ぎなかった
山本が考えていたのは、もっと大掛かりなものだ
複数の爆撃機を格納した潜水空母戦団だ
深海から浮上して爆撃機を発射し都市を攻撃し、すぐさままた海に潜ってしまうというものだ
1942年3月、日本の技師たちは山本発案の潜水空母の設計に取り掛かる
山本の案では、この潜水艦はフルサイズの魚雷潜水爆撃機を発射できることが求められた
カタプルト発射システムも必要だ
それだけでなく、爆撃機を回収するシステムも必要とされた
潜水艦の中に爆撃機を収納する、というのも大きな課題だった
当時の一般的な爆撃機は翼の端から端までで12メートルほどあった為、技術者たちは全く新しいタイプの爆撃機を設計する必要にも迫られた
翼を折りたたみ、潜水艦のハンガーに収容できるようにするためだ
潜水艦は、途中のどこにも寄港することなくアメリカ領のどこにでも到達し帰還できることも必要であった
その為には200万リットルにも及ぶ重油を積み込み、乗組員の為に数か月分の備蓄を備えていることも考慮しなければならなかった
この潜水空母は、I-400と名付けられた
I-400は巨大で、ドイツのUボートの倍ほどの大きさがあった
ハンガーの重量と、運航中の動きを安定させるため、二重船体デザインを採用した
これにより、I-400はアメリカ軍の最大級の潜水艦に比べても3倍の変位を有していた
I-400は恐ろしい潜水艦だった
先端には8か所の魚雷発射口と巨大な甲板砲を備えていた
空からの攻撃に対処するための、対空砲が3基、セイル部分にももう一基備え付けられていた
この潜水空母の一番の武器は、3機の魚雷潜水爆撃機だ
奇襲能力がこの潜水空母の最大の武器だった
I-400が標的に忍び寄るころには、船員たちは既に爆撃機の準備を始めている
メカニックは、高温の油を爆撃機に注入し期待を温めいつでも攻撃できるように準備をした
巨大な潜水艦は標的から数百キロのところで海面に浮上し、3機の爆撃機の準備を迅速に開始する
爆撃機はハンガーからデッキに移動し、エンジンをかけ翼を広げて攻撃対象にロックオン
そこから1機ずつカタプルとを利用して発射する
このプロセスを完了するには30分ほど必要だ
その後は潜水艦は再び海に潜り、爆撃機が無事に帰還するのを待つ
魚雷潜水爆撃機は、最先端のテクノロジーだった
この魚雷潜水爆撃機は、I-400に特化して設計されたもので、最大級の魚雷を搭載することが可能だ
フロートを装備した爆撃機は、潜水艦と並んで海上に降り立つことができ、そこから油圧式のクレーンを使って艦内に収容される
又その攻撃能力を高めるために、フロートなしでも発射できるようになっている
しかしその場合は、パイロットは海上に不時着することを余儀なくされる
I-400はステルス性と高い攻撃性を兼ね備えた、素晴らし潜水艦だった
この素晴らしい武器も、しかし、実際の戦争で戦局を覆すことはなかった
1945年8月15日、4年間に及ぶアメリカとの数々の激戦で疲弊し、日本は降伏する
アメリカがI-400を始めて回収したのは、日本降伏後2週間たった時だった
最初、アメリカ軍はこれが何なのか理解できなかった
日本軍がすべての戦艦を放棄してしまったからだ
当初I-400は輸送艦だと思われていた
しかし、その真の目的はすぐに解明され、アメリカ側はこれがなぜ実戦で使われなかったのか首をひねった
山本の案は、海軍では茶番だと考えられていた
敵陣に近づいてからの攻撃準備にかかる時間は、乗組員には危険すぎると考えられた
しかし、すぐにこの懸念は山本にとっては小さなものに過ぎないことが明らかになった
設計するだけに一年の月日を要した
I-400の建造が実際に始まったのは、1943年に入ってからだ
それまでに、日本の敗戦は色濃いものになっていた
1942年6月以降、アメリカ軍は日本軍に対して猛攻を加え、太平洋から押し戻した
日本での燃料や資材不足は深刻なものになり、これがI-400の建造を更に遅らせた
山本自身もこの潜水空母の完成を目にすることは叶わなかった
1943年、南太平洋の視察の途中彼の乗った飛行機はアメリカ軍によって撃墜される
当初18の潜水空母を建造する計画であったものは、最終的には5つの建造にとどまった
そのうち完成したのは3つでしかなかった
最初に実戦に参加したのは1945年
この時にはすでに、日本の軍事力は壊滅状態に陥っていた
アメリカの都市にわずか数隻の潜水艦空母で攻撃を仕掛けるなど、もはや何の意味もない
より戦略的に利点があったパナマ運河の攻撃計画も、今更戦局の転換は難しいとの軍幹部の判断で断念された
I-400の唯一のミッションは、太平洋の小島のアメリカ軍基地を攻撃することとなった
しかし、このミッションの途中で日本は降伏し、第2次大戦は終わりを迎えた
潜水空母は当初から大きな賭けだと考えられていた
天才的なひらめきをもってして、日本はこの状況を変えようとした
戦争の初期の段階でこの潜水空母が導入されていたら、戦局も変わっていたかもしれない
3機の魚雷潜水爆撃機の発射にかかる時間は30分のはずだったが、実際には45分以下で完了したことは稀だった
巨大な潜水艦が浮上する時間としては危険すぎた
I-400搭載の爆撃機は、優れた設計ではあったが、資材不足により質の劣る資材でやっつけ仕事で作られることになった
このため爆撃機は信頼性に劣っており、不具合が原因で、実際に発射されることは稀だった
巨大なサイズだったため、危険水域を脱するにはアメリカの潜水艦の倍の時間を要した
溶接もしっかりしていなかったため、深海に潜った際の脆弱性も顕著だった
それでもアメリカ軍は、このI-400を危険な武器だと考えていた
特に敵の手に落ちたら、危険なものとなる
1946年、ソビエト軍がこの潜水空母の視察を申し出たが、アメリカ側はこれをハワイ沖で撃沈させた
沈没させた海域も機密情報として、アメリカはこの開発に関わる全てを闇に葬ったのだ
もし、状況が違ったものだったら、戦争の結果も違っていたかもしれない
限られた時間の中で、こんなにユニークな潜水空母を開発した技術者たちってすごく能力高かったんだねぇ
アメリカの都市爆撃に成功してたら、今頃日本は国自体がなくなってたかも。。。。
アメリカを攻撃する計画するは9月だったけど、日本は8月に降伏したんだよね、危機一髪
物事が起きたタイミングを歴史的に検証すると、すごく面白いね
日本がアメリカ本土攻撃に成功してたら、アメリカの核開発はもっと進んだだろうし、朝鮮戦争は全面核戦争になってたかもしれないね
ワーオ、これも一種の歴史の転換点だったんだね
この話が広がると、8月にアメリカが日本に原爆投下したのを支持する人が増えるね
日本はどの段階で降伏を決めたんだろう?
潜水空母で標的の数百キロまで進んでから奇襲を仕掛けるって、そんなに何度もできないよ
日本軍は生物兵器をアメリカにばらまこうとしてたんでしょ?
もし、潜水空母が計画通り18建造されたとしても、爆撃機の総数は54機でしょ、大した数じゃないよ。。。。
ミッドウェー海戦では一つの空母に対して108機の爆撃機が攻撃を仕掛けたんだ
パナマ運河が攻撃されてたら、被害は甚大だっただろうな
I-400に搭載されてた日本軍の魚雷潜水爆撃機は、アメリカ空軍のIDをつけてたって言うけど、それって戦争協定違反でしょ
パナマ運河なんて防衛の要だから、数機の爆撃機じゃ何もできなかったはず
たとえ計画通りの数の潜水空母が建造されてても、戦局に大きな変化はなかったと思う
I-400は生物兵器を使った戦争に真価を発揮できるように考えられてたんだ
たとえ魚雷潜水爆撃機が攻撃に成功して戻ってきても、潜水艦に格納するのにどれくらい時間かかるんだろう?
日本軍はパナマ運河攻撃を、1945年6月の段階で諦めてるよ
日本軍だってそれほど無謀じゃないだろうから、アメリカ本土攻撃のリスクは十分検証したはずさ
潜水空母が生き残った魚雷潜水爆撃機を回収してる間に、アメリカ軍の爆撃機が襲ってくるでしょ
当時のアメリカ軍のレーダーは150マイル先まで探知できた、これは真珠湾攻撃の50分前には攻撃が察知出来たってことだよ
https://www.youtube.com/watch?v=gxyk84t4Q8w
https://www.reddit.com/r/videos/comments/gs85u3/underwater_aircraft_carriers_imperial_japans/
投稿者
「潜水空母」伊四百型
1945年8月、世界は大戦の終了に沸き返った
そんな中、太平洋ではアメリカ軍が不思議なものを発見した
アメリカ海軍は日本海軍の潜水艦を阻止したのだが、その姿は今まで誰も見たことがないものだった
それは世界一大きな潜水艦であっただけでなく、まったく新しい形の兵器だった
魚雷潜水爆撃機を発射することができる潜水艦だ
アメリカ軍は、偶然日本の重大機密である潜水空母に出くわしたというわけ
そして程なく、戦局を全く逆のものにしたかもしれない秘密の計画を暴くことになる
日本が奇襲をかけた真珠湾攻撃は、アメリカを震撼させ、第2次世界大戦への関与を避けられないものとした
真珠湾攻撃の翌日、アメリカは日本への宣戦布告を行う
アメリカは迅速に準備を始め、軍需産業を振興し、程なく日本の軍備力を凌駕するようになった
アメリカにとって、真珠湾攻撃は無意味で卑怯な挑発行為だった
しかし、日本にとってこの攻撃は全く違う意味を持っていた
アメリカとの全面戦争を避けるために、長期的視点に立って計画された、大きな賭けだったのだ
アジアでの侵攻を続けていた日本は、アメリカがこれに待ったをかけるのは時間の問題だと考えていた
真珠湾攻撃の首謀者山本五十六は、一度の攻撃でできうる限りアメリカ軍に打撃を与えることを目指した
太平洋地域でのアメリカ軍の介入を、少なくとも6か月は遅らせようとしたのだ
アメリカからの停戦提案が出れば、儲けものだと考えていた
しかし、大日本帝国はアメリカを酷く過小評価していた
真珠湾攻撃後の混乱の中で、山本はアメリカがすぐに日本をしのぐであろうと予測した
勝ち目のない戦争が目の前で起こりそうな局面で、山本は次の作戦を立てる
アメリカが太平洋での戦争に身を投じるのを避けるために、アメリカ本土を攻撃することにしたのだ
しかし、アメリカは既に日本に対する防衛線を強固なものにしていたため、山本には敵の目からは見えない兵器が必要だった
アメリカが疑いを持たないようなものだ
潜水艦から爆撃機を発射するという考えは、第2次大戦前から始まっていた
しかし初期の試みは、軽量の小型セスナ機1機のみという実験的なものに過ぎなかった
山本が考えていたのは、もっと大掛かりなものだ
複数の爆撃機を格納した潜水空母戦団だ
深海から浮上して爆撃機を発射し都市を攻撃し、すぐさままた海に潜ってしまうというものだ
1942年3月、日本の技師たちは山本発案の潜水空母の設計に取り掛かる
山本の案では、この潜水艦はフルサイズの魚雷潜水爆撃機を発射できることが求められた
カタプルト発射システムも必要だ
それだけでなく、爆撃機を回収するシステムも必要とされた
潜水艦の中に爆撃機を収納する、というのも大きな課題だった
当時の一般的な爆撃機は翼の端から端までで12メートルほどあった為、技術者たちは全く新しいタイプの爆撃機を設計する必要にも迫られた
翼を折りたたみ、潜水艦のハンガーに収容できるようにするためだ
潜水艦は、途中のどこにも寄港することなくアメリカ領のどこにでも到達し帰還できることも必要であった
その為には200万リットルにも及ぶ重油を積み込み、乗組員の為に数か月分の備蓄を備えていることも考慮しなければならなかった
この潜水空母は、I-400と名付けられた
I-400は巨大で、ドイツのUボートの倍ほどの大きさがあった
ハンガーの重量と、運航中の動きを安定させるため、二重船体デザインを採用した
これにより、I-400はアメリカ軍の最大級の潜水艦に比べても3倍の変位を有していた
I-400は恐ろしい潜水艦だった
先端には8か所の魚雷発射口と巨大な甲板砲を備えていた
空からの攻撃に対処するための、対空砲が3基、セイル部分にももう一基備え付けられていた
この潜水空母の一番の武器は、3機の魚雷潜水爆撃機だ
奇襲能力がこの潜水空母の最大の武器だった
I-400が標的に忍び寄るころには、船員たちは既に爆撃機の準備を始めている
メカニックは、高温の油を爆撃機に注入し期待を温めいつでも攻撃できるように準備をした
巨大な潜水艦は標的から数百キロのところで海面に浮上し、3機の爆撃機の準備を迅速に開始する
爆撃機はハンガーからデッキに移動し、エンジンをかけ翼を広げて攻撃対象にロックオン
そこから1機ずつカタプルとを利用して発射する
このプロセスを完了するには30分ほど必要だ
その後は潜水艦は再び海に潜り、爆撃機が無事に帰還するのを待つ
魚雷潜水爆撃機は、最先端のテクノロジーだった
この魚雷潜水爆撃機は、I-400に特化して設計されたもので、最大級の魚雷を搭載することが可能だ
フロートを装備した爆撃機は、潜水艦と並んで海上に降り立つことができ、そこから油圧式のクレーンを使って艦内に収容される
又その攻撃能力を高めるために、フロートなしでも発射できるようになっている
しかしその場合は、パイロットは海上に不時着することを余儀なくされる
I-400はステルス性と高い攻撃性を兼ね備えた、素晴らし潜水艦だった
この素晴らしい武器も、しかし、実際の戦争で戦局を覆すことはなかった
1945年8月15日、4年間に及ぶアメリカとの数々の激戦で疲弊し、日本は降伏する
アメリカがI-400を始めて回収したのは、日本降伏後2週間たった時だった
最初、アメリカ軍はこれが何なのか理解できなかった
日本軍がすべての戦艦を放棄してしまったからだ
当初I-400は輸送艦だと思われていた
しかし、その真の目的はすぐに解明され、アメリカ側はこれがなぜ実戦で使われなかったのか首をひねった
山本の案は、海軍では茶番だと考えられていた
敵陣に近づいてからの攻撃準備にかかる時間は、乗組員には危険すぎると考えられた
しかし、すぐにこの懸念は山本にとっては小さなものに過ぎないことが明らかになった
設計するだけに一年の月日を要した
I-400の建造が実際に始まったのは、1943年に入ってからだ
それまでに、日本の敗戦は色濃いものになっていた
1942年6月以降、アメリカ軍は日本軍に対して猛攻を加え、太平洋から押し戻した
日本での燃料や資材不足は深刻なものになり、これがI-400の建造を更に遅らせた
山本自身もこの潜水空母の完成を目にすることは叶わなかった
1943年、南太平洋の視察の途中彼の乗った飛行機はアメリカ軍によって撃墜される
当初18の潜水空母を建造する計画であったものは、最終的には5つの建造にとどまった
そのうち完成したのは3つでしかなかった
最初に実戦に参加したのは1945年
この時にはすでに、日本の軍事力は壊滅状態に陥っていた
アメリカの都市にわずか数隻の潜水艦空母で攻撃を仕掛けるなど、もはや何の意味もない
より戦略的に利点があったパナマ運河の攻撃計画も、今更戦局の転換は難しいとの軍幹部の判断で断念された
I-400の唯一のミッションは、太平洋の小島のアメリカ軍基地を攻撃することとなった
しかし、このミッションの途中で日本は降伏し、第2次大戦は終わりを迎えた
潜水空母は当初から大きな賭けだと考えられていた
天才的なひらめきをもってして、日本はこの状況を変えようとした
戦争の初期の段階でこの潜水空母が導入されていたら、戦局も変わっていたかもしれない
3機の魚雷潜水爆撃機の発射にかかる時間は30分のはずだったが、実際には45分以下で完了したことは稀だった
巨大な潜水艦が浮上する時間としては危険すぎた
I-400搭載の爆撃機は、優れた設計ではあったが、資材不足により質の劣る資材でやっつけ仕事で作られることになった
このため爆撃機は信頼性に劣っており、不具合が原因で、実際に発射されることは稀だった
巨大なサイズだったため、危険水域を脱するにはアメリカの潜水艦の倍の時間を要した
溶接もしっかりしていなかったため、深海に潜った際の脆弱性も顕著だった
それでもアメリカ軍は、このI-400を危険な武器だと考えていた
特に敵の手に落ちたら、危険なものとなる
1946年、ソビエト軍がこの潜水空母の視察を申し出たが、アメリカ側はこれをハワイ沖で撃沈させた
沈没させた海域も機密情報として、アメリカはこの開発に関わる全てを闇に葬ったのだ
もし、状況が違ったものだったら、戦争の結果も違っていたかもしれない
限られた時間の中で、こんなにユニークな潜水空母を開発した技術者たちってすごく能力高かったんだねぇ
アメリカの都市爆撃に成功してたら、今頃日本は国自体がなくなってたかも。。。。
アメリカを攻撃する計画するは9月だったけど、日本は8月に降伏したんだよね、危機一髪
物事が起きたタイミングを歴史的に検証すると、すごく面白いね
日本がアメリカ本土攻撃に成功してたら、アメリカの核開発はもっと進んだだろうし、朝鮮戦争は全面核戦争になってたかもしれないね
ワーオ、これも一種の歴史の転換点だったんだね
この話が広がると、8月にアメリカが日本に原爆投下したのを支持する人が増えるね
日本はどの段階で降伏を決めたんだろう?
潜水空母で標的の数百キロまで進んでから奇襲を仕掛けるって、そんなに何度もできないよ
日本軍は生物兵器をアメリカにばらまこうとしてたんでしょ?
もし、潜水空母が計画通り18建造されたとしても、爆撃機の総数は54機でしょ、大した数じゃないよ。。。。
ミッドウェー海戦では一つの空母に対して108機の爆撃機が攻撃を仕掛けたんだ
パナマ運河が攻撃されてたら、被害は甚大だっただろうな
I-400に搭載されてた日本軍の魚雷潜水爆撃機は、アメリカ空軍のIDをつけてたって言うけど、それって戦争協定違反でしょ
パナマ運河なんて防衛の要だから、数機の爆撃機じゃ何もできなかったはず
たとえ計画通りの数の潜水空母が建造されてても、戦局に大きな変化はなかったと思う
I-400は生物兵器を使った戦争に真価を発揮できるように考えられてたんだ
たとえ魚雷潜水爆撃機が攻撃に成功して戻ってきても、潜水艦に格納するのにどれくらい時間かかるんだろう?
日本軍はパナマ運河攻撃を、1945年6月の段階で諦めてるよ
日本軍だってそれほど無謀じゃないだろうから、アメリカ本土攻撃のリスクは十分検証したはずさ
潜水空母が生き残った魚雷潜水爆撃機を回収してる間に、アメリカ軍の爆撃機が襲ってくるでしょ
当時のアメリカ軍のレーダーは150マイル先まで探知できた、これは真珠湾攻撃の50分前には攻撃が察知出来たってことだよ
https://www.youtube.com/watch?v=gxyk84t4Q8w
https://www.reddit.com/r/videos/comments/gs85u3/underwater_aircraft_carriers_imperial_japans/