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海外「中国が存在していない…」もし大日本帝国が負けなかったらどうなっていた?歴史のifに海外興味津々(海外反応)

海外「中国が存在していない…」もし大日本帝国が負けなかったらどうなっていた?歴史のifに海外興味津々(海外反応)

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もし大日本帝国が敗れ去ることが無かったら

第二次世界大戦中に、一時期日本が赤道以北の東アジアの大きな部分を支配してた時期があった
当時のこの地域の総人口は、4億7千万人
日本軍はこれらの地域を、1941年末から1942年はじめのわずか数ヶ月で手中に収めている
しかし、大日本帝国は出来たのと同じくらい速いスピードで、1945年に敗れ去っている
以前の日本の領土は、アメリカとロシアの影響下に依って分割された
もし、これが起きずに、第二次世界大戦後も日本がそれらの地域で勢力を持ち続けていたら、いったい何が起きただろう?
歴史や経済、文化などはどんな影響を与えたんだろう?
これが今日のテーマだよ



僕がこれまで、もし日本が第二次世界大戦に勝利をおさめていたら、っていうテーマを取り上げなかったのは、日本はそもそも全く希望のない戦争を闘っていたからなんだ
日本のその頃の人口は7100万人
敵国の人口の合計が9億6500万人、日本の人口の13倍にもなる
日本がこの戦争に突き進んだのは、極度のアグレッシブな文化と切腹を美徳とするような国のあり方が影響してた
下位の仕官が、御国の為と言う大義名分があれば、階級の上下を超えて行動を起こすことを容認するような風土
国粋主義に疑問を唱えるような政治家が暗殺されることもよくあった
軍隊の下部組織が勝手に隣国を侵略しても、政府がその行為を後付で承認するようなこともあった
こうなってくると、上層部も一層の国粋主義を見せないと示しがつかなくなってくる
この悪循環が、日本を勝てる当てのない戦争に駆り立てた、って言えるだろうね
大日本帝国を真の崩壊に向かわせたのが、アメリカに対して戦争を宣言したこと
これには日本側にも大義名分はあった
例えば、アメリカが日本の石油運搬の経路を妨害したとか
同時に、アメリカは日本の侵攻戦略の真ん中に位置するフィリピンをその支配下においていた
でも、日本はこの行動に関しては、完全な計算間違いを犯してたよ
アメリカは日本の兵器製造能力の分野で、戦車の製造では20倍、機関銃では7倍、戦闘機製造では3倍、弾丸では6倍そして駆逐艇では10倍の製造力を持っていた
日本は、アメリカ人のことを戦闘能力に劣っている、って考えていたんだ
だから、真珠湾に奇襲攻撃をかければ、アメリカを陥落させることは簡単だって思っていた
これに反して、アメリカが本気で戦いを仕掛けてきた時には、ひどく驚いたものだ
真珠湾攻撃に対して心底腹を立てたアメリカは、困難な戦況でも諦めずに、次々に日本の領土を奪回し始めたんだ
日本軍が勝利を納めて、戦局を変えるような戦いは一つも無かった、兎に角数の差が大きすぎたからね
モスラがいたら違ったかもしれない。。。。
ハンニバルやナポレオンを加えてもいいけど、彼らは日本が闘ったより条件の良い戦いでも
敗れてるから。。。。
日本が勝利を納めるためには、超・超・超・優秀な指揮官が必要だった
海の戦いに長けた、ハンニバルとナポレオン、と言ったところかな
この指揮官に求められたのは、アルファ・メールタイプの性格だね
ミッドウェー海戦を含む多くの海上の戦いでに破れたことで、海軍はその勢力を大きく削がれ、その後のパシフィックでの展開に大きな痛手を被る事になった
日本がこの地域で戦いを展開した目的は、ハワイを手中に収めることだった
もし、日本がこの戦いに勝利を納めていたら、アメリカ海軍の勢力をカリフォルニアまで後退させることが出来た

アメリカ軍がミッドウェー海戦に勝利できた理由は、日本の暗号解読に成功できたこと
だから、日本軍が次にどんな動きをとるか分かっていたんだ
(4‘24“以降5’35”まではスポンサーのコマーシャル)
大日本帝国の領土は、広大になりすぎていた
現在の世界地図で色つきで示されてる国々が、日本の支配下だったんだ
確かに日本軍は中国での戦いには勝利をおさめていたけど、中国は広大な国だから全土を支配化に置くなんてことは現実的じゃなかった
日本は中国の東側にある領土を確保することに成功したけど、中国軍は中央地方での勢力を維持し続けていた
イギリスの支配下にあったインドでも課題は同じだった、兎に角領土が広大すぎたんだ
日本は、オーストラリアにはあまり関心を持っていなかった
日本がハワイでアメリカの戦艦を4隻破壊したことで、アメリカは本格的にヨーロッパでの戦線に参加してナチス壊滅に一役買うことになった
ナチスが敗れた後のヨーロッパは、それでも共産主義の鉄の壁があって、ソ連とアメリカの影響力が別れるところになったんだけど
アメリカだって、戦争を終わらせるにはそれ以外に手がないって認識するまでは、原爆を使用するつもりは無かった

1945年の世界は、3大勢力の支配下に分断されてた、日本・アメリカ・ソ連だ
でも当時は、冷戦下のようにお互いが話もしないなんて事は無かった
日本は世界中のどこの国より共産主義を嫌ってて、アメリカは日本が大嫌いだった
アメリカとロシアが拮抗する二極体制の世界ではなく、複数極の世界だったんだ
複数極のうちの弱い2極が、最強の一極に対して共闘していた
これが、世界のバランスをある意味保っていたんだろうね
ジョージ・オーウェルの物語の世界みたいだね 

大日本帝国の内部
大日本帝国は植民地を、共栄の土地とアピールしてたけど、実際のところ日本の植民地の人たちに対する扱いは、ヨーロッパの国々よりよほどひどいものだった
当時の日本の考え方は、ナチスとそんなにかけ離れたものではなかったよ
日本は、アジア全体を自分たちが入植するべき土地だと考えていて、現地の人たちを下層民だと思っていた
政府はアジアの植民地に農民やビジネスマンを送り込み、特に満州や韓国では日本人の入植者数は顕著だった
各地で現地の人たちの人口を超えることはなかったけど、影響力のある少数民族となっていた
この地域で中国が最も歴史が古くて、人口も最も大きかったし、一番富を享受していた
これは、中国を征服した民族が、常に中国人を使って土地を統治していたのが原因だ
中国は常に侵略者を自らのもとに取り入れてきた、だって中国人じゃなければ土地を統治できないんだから
日本政府は、少数の日本人エリートを上海ベースで配置し、現地は中国人に統治させていた
これは、インドでイギリスがとっていたスタイルに近いものだよ
韓国人は世界中で、文化的にも遺伝子的にも最も日本人に近いって言われてる
それでも、韓国を統治していた日本人は、韓国人を下層民として扱って、韓国人を日本人化するように言葉や文化を押し付けた
しかし、大日本帝国の人口はすべての事を日本人だけで統治するには少なすぎた
だから、日本人は韓国人を雇って、日本の為に働かせるようになった
これは、イギリスとアイルランドの関係に似ているね
大日本帝国は植民地の人たちを、自国の産業化を支えるために、まるで奴隷のように扱ったんだ、労働力をできるだけ低く抑えたかったし、これらの国々が将来日本の競争相手になるのは避けたかったんだ
イギリスがインドの繊維産業に対してした仕打ちも、これと似たようなものだったよ
現在アジアのパワーハウスになろうとしている、韓国やベトナム、台湾なんかは当時存在していなかった

大日本帝国のテリトリーは、ざっくりと2つにわけることができる
キリストの誕生以前にすでに文明が生まれていた地域とそれ以外の地域だ
日本人の征服者たちは、以前にアジアにやってきたヨーロッパの征服者たちとそんなに違ってはいなかった
日本人は現地人を、日本が所有するゴムのプランテーションや鉱山で労働者として利用した
日本は、侵略した土地の資源を自国に持ち込み、それを使って生産した品をそれらの国々に売りつけていたんだ
この方法をとっていたら、日本の生活水準は当時の世界で一番だっただろうね

その他の国々
当時中国の共産主義はまだ発展途上だった
中国中央部の自由中国が、外の世界でつながっていた唯一の国がソ連だった
ソ連は、中国に物資を補給し続けていたし、毛沢東は自分の思想に反対する人たちを粛正し続けていた
日本の脅威を目の当たりにして、中国はソ連と強い絆を維持することにしてたんだ
インドに関しては、第2次大戦中にイギリスはインドを独立させると約束をしていた
戦中戦後のイギリスの衰退を見る限り、インド独立は避けられないものだったね
インドは当初は、日本の提唱するパン・アジア協定に参加して、日本と共に戦うつもりでいたけれど、早晩日本の野望に気が付いて、ソ連側につくことにしたんだ
この動きを受けて、インドは社会主義的な左派の政策を取り入れるようになる
これが実は、インドの経済成長を鈍化させることになるんだけど

アメリカの影響は主にヨーロッパと南米の一部に限られていた
アメリカからすれば、日本との軋轢は文明と人種を根幹とするものだと考えられていた
アメリカにとっては、戦争の大義名分はデモクラシー、白人優位主義、キリスト教だったんだ
そんな理由だったから、当時日本が力を持っていたアジアからの移民は厳しく制限されていた
これが続いていたら、アメリカはどんなにひどい国になっていただろうね
例えば、食べ物とか音楽とか。。。。
あぁ、ちょっと脱線しちゃったね
アメリカの西海岸の発展には、対日戦争が大きな理由としてあげられる
太平洋の日本領がアメリカの貿易の壁として立ちはだかっていたから、交易はほとんど大西洋を中心に行われていて、アメリカはヨーロッパの一部だっていう意識が強かった
当時、アメリカ・ロシア・日本は、世界の各地で影響力を行使していた
インドの西側に位置するパキスタンは、日本よりにもアメリカよりにもどちらにもなりえた
アフリカ諸国は、どちら側にもつく可能性があった
国の政権が当時左派だったか右派だったかはそんなに関係なく、誰が資金を提供してくれるか、って言うのが重要な点だったんだ
その頃、南米では日本人移民が大きな割合を占めていた
もし、ハワイが日本の手に落ちていたら、この地域での日本の影響力は大きなものになっただろうね
実際1990年代のペルーでは、日系移民の子孫のフジモリ氏が大統領にえらばれたよ
ブラジルも多数の日本人移民がいたから、これらの国々はニュー・ワールドでのアメリカの影響力を抑えるためにも、日本を支持していたんだ
アメリカ自体は、このニュー・ワールドに外からの影響が加えられることは良しとしなかった
だから当然、アメリカは南米での反日支持勢力に肩入れして、代理紛争のような様相を見せたこともあったよ
アメリカが関わったベトナム戦争のようなことが、ペルーで起きていたかもしれないね

大日本帝国は生き残ることができただろうか?
簡潔に言えばNOだね
日本をはじめとするアジアの人口は、20世紀後半以降に爆発的な増加を見る
これは、医療の進歩と潤沢な食糧供給のおかげだ
インドネシアを例にとれば、人口は4倍近くに増えているし、フィリピンに至っては1700万から1億超に増えている
そんな中、日本も人口は増えたとはいえ、70000万から1億2500万だ
例え、大日本帝国が存在していたとしても、その中で日本人の人口が占める割合はかなり小さくなっているだろうね
こんな状態で帝国を維持するのは不可能だし、もしできたとしてもすごく費用が掛かるものになったと思うよ
イスラム教の台頭も忘れてはいけない要因だ
インドネシアやマレー半島のイスラム教徒は、自由のために熾烈な戦いを繰り広げるだろうね
ロシアの競争力も帝国の脅威となったであろうことは間違いないし、20世紀にロシアから独立を果たした中央アジアの国々が、アジアで帝国の支配下に置かれている国々の独立運動に大きな影響を与えたであろうことは、想像に難くない
インターネットの普及により、情報管理が難しくなったこととか、2004年にインドネシアを襲った津波とか、問題は山積みだ
日本が大日本帝国を維持しようとして、今でも戦ってるのかそれともあきらめちゃったか、を判断するのは難しいね
ただ一つ確かなことは、日本を除く東アジアの国々はまだまだ豊かじゃない
もしまだ帝国があったなら、東アジア全体が経済的に多大な恩恵を受けたかもしれない、ってことは言えるよ
ソ連崩壊後の中国は、いまだに毛沢東主義を信奉していたかもしれない
中国国内の勢力地図も今とは全く異なるものかもしれないね
大日本帝国が共産主義の中国に参加するとも思えないから、中国は東西に分断されて可能性もあるよ
自分たちの伝統や文化を押さえつけられていたから、中国や韓国では極右の国粋主義の勢力が台頭していたかも


海外「想像すると面白い!」なぜ中世日本人は盾を使わなかったのか?その理由に海外興味津々(海外反応)

海外「想像すると面白い!」なぜ中世日本人は盾を使わなかったのか?その理由に海外興味津々(海外反応)

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なぜ日本人は盾を使わなかったのか
中国の記録によると200年頃に日本人は手で持つタイプの盾を使っていたという記録がある
300年から500年の間は主に長方形の盾で皮を重ねた物が多かったがこのころになると鉄製の物も見られるようになってきた
奈良時代になるともっと大きくて自立するタイプの盾が使われるようになった
手で持つタイプの盾からは日本人は離れてしまったが自立するタイプの盾に関してはいろいろな種類が出てきた



手の高さくらいで自立するための棒が出ていた
足などで棒を支える事で自由に高さを変える事が出来た
一枚の板で作る事が出来るのが理想ではあったがだいたい2、3枚の板を組み合わせて作られていた

鎌倉時代になるとこの盾に家紋を入れるようになった
これを壁のように並べて弓の射手を守っていた
移動しようと思えば持って運べるし逃げる時は背中に背負って弓から守る事もできた
船の周りに建てたりはしごのように使う事も出来た
鉄砲が搭乗すると木を貫通してしまうようになった
鉄製の物は当時まだ高かったので安いオプションは竹を使う事
盾の前に濡れた藁を建てたり竹の束をおいたりして鉄砲から身を守った
竹の束を動く壁のようにする事もあった

手で持つタイプの盾が一般的にならなかったのは当時日本人が使っていた武器に原因があるのかもしれません
800年代 主に戦っていたのは歩兵ではなく馬にのって弓を引く侍だった
侍という階級が出来た時彼らは小さな部隊で戦っていた 大きな軍隊ではなく
刀は全く気の毒なような武器で弓矢でなければなぎなたなどの武器が好まれた
馬に乗っていたら刀は短すぎて役に立たなかったので
馬にのったまま弓矢で何かを狙うのは難しく盾を持っていたらなおさら

その結果日本では馬に乗る事ができ弓矢を使うのに支障がない鎧が進化した
盾の代わりに肩をまもる大袖といわれる物ができた
たくさんの穴があいた鉄板を重ねてそれを皮でつなげる
下を漆でぬり一枚になるようにすることで身体をまもり肩を大袖で守っていたが大袖は弓を弾く時は後ろにさがるので射手の邪魔にならなかった
歩兵は馬に乗った侍と歩兵の両方と戦わなければならなかったが刀はどっちにしても短かったので好まれたのは弓やなぎなた、熊手や火縄銃などだった

初期の日本人の戦いとしてはヨーロッパの軍隊のように隊列を組んで動くようなものではなく少人数で戦うものだったので盾はあまり役に立たなかった
だからといって全く使われていなかったわけではなく使っていたという記録も残っている
大袖と同じくらいのサイズだったり内側にろうそくをおける盾だったりした
ろうそくをおけるタイプのものは夜襲をかける時に使われたんだろうと推測出来る
江戸時代になると刀を持っている手のサイズくらいの盾が刀を持っている手を守るために出来た
そうはいっても盾は日本ではあまり使われる事はなかった

馬に乗って両手で使う武器が使われる事が多かったし少人数での攻撃で隊列を組んで戦う事もなかったからだろう
戦国時代には大人数の軍隊が使われる事もあったが鎧がとても発達していたので盾の人気が出る事はなかった 
みんな両手で使う武器に慣れてしまっていたしね


海外「身内争いは縁を切るしかない…」日本で最初の侍?『平将門』の権力闘争に海外興味津々(海外反応)

海外「身内争いは縁を切るしかない…」日本で最初の侍?『平将門』の権力闘争に海外興味津々(海外反応)

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家族のけんかが雪だるま式に膨れ上がって、何千人もを巻き込む抗争になったらどうする? 
平安時代、平将門は桓武天皇の子孫である平氏一門に生まれた 平氏は政権のあちこちに入り込んだ 最初のサムライが誰かはさておき、将門は最初のリーダーだったと言える 平氏は戦いに強いと評判だった もう一方のサムライが源氏 平安時代のマクドナルドvsバーガーキングといったところか



若い頃、平将門は都でキャリアを積んでいたが出世できず 失意のなかで勢力のある下総に帰った 彼の家は馬や牛をたくさん飼っていた 政府の役人は馬を贈り物にもらうのが好きだ だから将門の家は裕福だった サムライが力を持つようになり、サムライのなかでも馬上で弓を引けるものがエリートとなった 将門には馬はたくさん持っていたから、弓を引ける武者を必要としていた

 そこで隣の家から武者を借りた そして従姉妹と結婚したがそれがトラブルの始まり 妻の父である叔父は平義兼の家で暮らすことを将門は拒んだ 当時の貴族は妻の家で暮らすことが普通だったが将門は妻と自分の家で暮らしたので、叔父とはうまくいかず分裂 935年に両家は争いを起こす 「えっ、同居しないだけで戦争になる?」って思うかもしれないが 叔父の家で暮らすと言うことは叔父の影響を受けると言うこと そのぶん子供の面倒を見て貰ったりするわけ 将門がそれを拒否したことで、叔父はバカにされたと受け取った まあ馬鹿馬鹿しい話だけど

この争いが後に将門の乱と呼ばれる これはそれまでの日本の戦争のやり方とは異なっていた それまでは知らない者同士の争いで、大人数の兵士同士で戦っていた だが将門の乱は身内同士の争い そういう戦いはだんだん日本のあちこちで行われるようになった

935年、将門は常陸の国へのりこみ叔父義兼を急襲 将門が一体のボスとなった 彼は必要もないのにたくさんの家を焼いたりもした 将門は負けた義兼の弟も殺した 続いてその戦いで亡くなった武将の息子、将門の従兄弟の貞盛も参戦した 将門は他国で疲弊しながら新たな敵と戦わなくてはならなかったが立ち向かった 選択肢は2つ 叔父を殺すか、逃がすか この戦いは兵士の身内の争いであり、叔父は一門の大物 その叔父を殺せば将門は反撃にあうかもしれない そこで叔父を逃がすことにした それが悪運となる 

将門を倒せなかった勢力は天皇に援軍を頼む 政府は将門が一門のなかで殺し合いをしたことをとがめた 将門は自分の身を守っただけなのだが 将門は都に呼び出された 幸運にも、権力を持つ友だちがいたから将門は罪を許された これで将門は攻撃されなくなるはずだったが、都の許しなどフェニックス大学の学位と同じで何の意味もない 都から戻った将門を敵はまた攻撃してきた 将門はその後も戦い続けた

ある戦いで、義兼叔父は平氏の祖先、高望王の像を掲げた そこで将門が兵を引くと、叔父は将門の妻を誘拐 だが妻の弟が彼女を開放すると妻は将門の元に戻った だが将門は怒りのあまり兵を統率できなくなった 叔父はまた将門の味方を引き込み、彼の弱点を聞いたという 将門は叔父の攻撃に備え、「燃える目で、歯を食いしばり、前に進んだ」と言われている その姿を見て敵はみな逃げ出した 恐れをなした叔父はその後病気で死んだ

面白いのは、朝廷はこのことをいちいち知っていたということ 将門も、敵対した貞盛も、都に報告を送っていたからだ そのうちに将門が力を持つようになり、貞盛は何か月も山に隠れていた だが反将門勢力は朝廷に、将門が反乱を計画していると嘘のうわさを流した 将門に逮捕状が送られ、何も悪いことはしていないと将門はこれを拒否 このころから将門は朝廷を信用しなくなったようだ 

彼は日本のなかに独自の国をつくろうとし、自らを「新皇」と称した 


海外「音色が美しい…」盲人には不思議な力があると信じられていた?日本の琵琶法師の役割と隆盛に海外興味津々(海外反応)

海外「音色が美しい…」盲人には不思議な力があると信じられていた?日本の琵琶法師の役割と隆盛に海外興味津々(海外反応)

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琵琶・どうして盲目の法師がこの楽器を奏でるのか

盲目の法師が語り、子供たちが笑い声を上げる
侍はモラルとメンタルトレーニングの為に琵琶を奏でる
え、何だって???
その通り、日本では昔盲目の法師が旅をしながら音楽を奏で物語を方って聞かせてたんだ
今日の話は琵琶についてだよ
僕の名前はショーン、尺八を教えたり作曲したりしてる日本の音響についての教育者だ
琵琶について語るのは結構難しい
日本の歴史の中では、1500年頃から1800年代の半ばまで、琵琶についてほとんど触れられてない時期がある



それは一旦置いて置いて、先ず琵琶って何だろう
琵琶の音色はこんな感じ
琵琶は日本の有棹の弦楽器で、大きなベース部分と弦を張るための長い棹の部分を持ってる
棹には弦のピッチを変えるための柱っていう部分がついてるよ
琵琶の大きさは、通常60センチくらいだけど、長いものでは106センチなんてものもある
楽器のベースの部分は水滴みたいな形だけど、それより怒ったポケモンみたいって言ったら分かりやすいかな
典型的な琵琶の弦の数は4本で、撥を使ってこれを鳴らすんだ
今まで見たこと無いくらい大きなギターのピック、ってとこだね
この大きな撥のおかげで、色んなエフェクトを作り出すことが出来る
演奏会では、弦じゃなくて楽器そのものを撥で叩いたりする演奏家もいるよ

この琵琶はどうやって日本に紹介されたんだろう?
琵琶が日本にやって来たのは7世紀頃で、中国のピパの親戚だって考えられてる
最初に日本で使われたのが、雅楽琵琶
この楽器がどうやって日本中に広まったのかは良く分かってないんだけど、確かなことは、この琵琶は宗教の儀式とかで広く使われてたってこと
色々省略すると、昔々政府の改革のおかげで、当時の音楽家はすごく迫害された時期があるんだ
音楽家は自分たちの生活を立て直すために、寺院とかに保護を求めた
音楽化の中には僧侶に身分を変える者も多くいて、彼らは盲僧琵琶を使うようになってくる
これは雅楽琵琶よりウンと小さなものだった
その後、雅楽琵琶と盲僧琵琶から平家琵琶も誕生したよ
当時はそのほかにも様々な形状の琵琶が作り出されたんだけど、鎌倉時代の終わりには、平家琵琶が最も典型的な琵琶になってた
でも、この頃から1800年代半ばまで、琵琶に関する記載はほとんど見られなくなっちゃったんだ。。。。

最初に僕らが紹介した琵琶を奏でる盲人の法師は、琵琶法師って呼ばれてた
この琵琶法師は明治時代以前に、日本を旅しながら琵琶を奏でて物語を語って歩いてたんだ
彼らは物語を語り歩いて、日々の糧を得ていて、僧のようないでたちをしてた
どうして盲目だったかって?
その当時は盲人が糧を得るための手段として、音楽を選ぶことが多かったんだ
庶民は盲人と魔法とか不思議な力とかと結びつけることも多かったしね
盲人には庶民に見えないものが見えるって考えられて、普通の生活とは切り離されてた
盲人が厄除けの祈祷をしたりすることも良く有ったから、儀式に関連した音楽と盲人が結びついたのも自然なことだったよ
盲人ばかりの楽団もあったくらいだ

琵琶法師、の法師は仏教の教えを説く人って言う意味
この法師が主に琵琶を奏でる人たちだったんだ
彼らが主に語っていたのは、有名な武将や戦い、歴史的な出来事や神話なんか
琵琶法師を語るときに、忘れちゃいけないのが生仏
彼が、最初に平家物語を語り始めたって言われてるんだ
彼の演奏スタイルは、後年平曲といわれるようになる
生仏みたいな演奏家は源平合戦のはるか前から存在してたけど、平家の物語を語るようになってから、有名になったんだ
平家物語を語り始める以前の琵琶法師は、宗教行事とかで演奏する演奏家でしかなかった
日本の神話を語ったり、豊作のために祈ったり、多岐に渡るパフォーマンスを繰り広げてた
本当のところは分からないけど、こういう役割を担ってたから、その後平家物語を語ることも許されたんじゃないかって言われてる
歴史を語り伝える、っていう役割が与えられたんだ
平家物語は、平安時代後期の2大勢力源氏と平家の戦いを描いた軍記物
どうしてこの物語がそんなに有名になったのか、って??
どこの国でも同じだけど、昔は字を読んだり書いたりできる人はすごく少なかった
だから、誰かが歴史を語ってくれることは大したエンタメだったんだ
琵琶のダイナミックな音色に彩られた物語はすごくカラフルで、物語をすごくリアルにしてた

でも、その後琵琶人気は衰えてしまう
これは主に政治的な背景が原因だと考えられてるよ
江戸時代が始まった頃は、琵琶はすごく人気だった
徳川家康自身が琵琶の大ファンで、金銭的な援助もすごくしてたんだ
多くの演奏家が、この資金援助目当てに琵琶を演奏し始めて、琵琶のスタイルも多岐に渡るようになった
明治時代になると、侍は姿を消し、それと共に琵琶も姿を消していったよ
将軍家の資金援助がなくなっちゃったからね。。。。
明治時代から昭和にかけて、琵琶演奏家の数は激減した
資金や演奏の機会が減ったこともあるし、日本が数多くの戦争に関わったことも原因だね
1900年代初めに多くの琵琶のスタイルが出てきたんだけど、その頃伝統的な師範と弟子の関係性も崩れてきた
今でも、琵琶を教えてくれるお師匠さんみたいな人はいないよ
琵琶の演奏家は年老いてきたし、昔の演奏を伝えるビデオも本の少し残ってるくらいだ
今でも細々残ってるのは、近代琵琶くらいで、座頭琵琶、平家琵琶、盲僧琵琶なんかは継承されてない。。。

でも一縷の希望は、1960年代以降日本で伝統楽器に対する関心が再び高まってきたこと
武満徹のおかげで、琵琶や尺八なんかの伝統楽器に注目が集まるようになったんだ
これが、J-Popやジャズでも日本の伝統音楽が使われ始めたきっかけになったよ
今日紹介したのは、本のさわりの部分でしかないから、みんなにももっと深く琵琶に触れて欲しいな
まだまだ紹介してない琵琶のスタイルもいっぱいあるよ
現代でも琵琶の演奏家は活躍してて、僕のお気に入りは熊田かほり
彼女の奏でる那須与一の物語は聴いてみる価値があるよ


海外「根底に人種差別…」劇的に悪くなった?日露戦争と第二次大戦の日本の捕虜の扱い方の違いが海外で話題に(海外反応)

海外「根底に人種差別…」劇的に悪くなった?日露戦争と第二次大戦の日本の捕虜の扱い方の違いが海外で話題に(海外反応)

投稿者
日露戦争と第2次大戦の間、日本の捕虜への扱いが劇的に変化

最近リチャード・ハフの「死ななければならない艦隊」というの本を読みました
1905年の対馬海峡の戦いにおいての本です
第2太平洋艦隊の航行とその運命を詳述していました

この戦いの間にロシアの軍艦が日本に降伏しました
ロシア艦隊の司令官であったロジェストヴェンスキー提督が捕虜になりました
彼は戦闘で重傷を負い佐世保の病院に運ばれました
そこで日本の医師がなんとか命を救いました
この本では日本人がこういった降伏見るのを混乱したと記述しています

しかし彼らはこれらの捕虜を残酷に扱いませんでした
これは第2次世界大戦中に日本人が悪名高い戦争犯罪を犯したことを考えると
非常に驚​​くべきことでした

さらに言及すると、日露戦争中にロシア人捕虜に対して
日本人が寛大に捕虜を待遇したことも驚きでした
では、日露戦争と第二次世界大戦の間で何が変わったのでしょうか?
なぜ日本人は第2次世界大戦のときの捕虜を1905年にロシア人にしたときのように、同じようにで扱わなかったのでしょうか?

この変化に関連する重要な文化的若しくは政治的な変化はありましたか?
または日露戦争は単なる例外だったのでしょうか?
皆さんのコメントに予め感謝しておきます!


海外「日本はまだ戦う気だったのか…」大被害必至?第二次大戦の連合軍日本陸上計画が海外で話題に(海外反応)

海外「日本はまだ戦う気だったのか…」大被害必至?第二次大戦の連合軍日本陸上計画が海外で話題に(海外反応)

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1945年日本侵略に関するアメリカの狂った計画



日本はドイツの降伏の後本土決戦を決めなんとか無条件での降伏を避けようとしていた
実際には原爆が落とされた事とソ連が介入してきたことで日本は無条件降伏した
しかし原爆が使われなかった場合のアメリカの計画が別にあった
アメリカは日本を占領するのは地理的にとても難しいと考えていた
日本は大陸からはなれている上に大きな海岸もなく上陸に適していなかった
さらに地形的に山や川が多くゲリラとして対抗するのが容易だった

オペレーションダウンフォールは沖縄を拠点に1945年11月1日に始まる予定だった
50万人ものアメリカ兵は12の師団にわかれて九州の海岸35カ所から上陸する予定だった
占領した九州の一部を拠点として今度はここから航空機による攻撃を仕掛けて東京に迫る計画だったのだ
本州を落とす計画はイペレーションコルネットと呼ばれ1946年3月1日に始まる予定だった
このオペレーションは多国籍軍によってつくられた40の師団からなる攻撃だった
最終的には200万の兵力が投入される事になっていた

日本が降伏するまでには600万人以上の兵士と42隻の航空母艦に24隻の戦艦に400隻の駆逐艦
更に数えきれないほどの戦闘機を投入する事にしていた
日本は本土防衛のために日本にのこっていた兵器の40%を九州に運び米軍が上陸するのに使うであろう海岸を正確に予想し430万の兵士を派遣する計画だった

しかし兵器は120万人分しかなく日本は国民全体を兵士として本土防衛につかう予定だった
竹槍などの原始的な武器をもった国民を人数に入れると単純に連合軍の人数の何倍かになる
空母や戦艦はどれも傷ついていて石油もなかったが当時日本にたくさんあったのは戦闘機だった
飛行機のほとんどは神風攻撃に使われるものばかりだった
日本はこの攻撃によって連合軍が高くつきすぎると交渉に応じる事を期待していたのだ

ただそれはおこらず原爆が使用された
たくさんの人が死なずにすんでよかったといえるだろう


外国人「日本は真珠湾で軍事基地を攻撃したのになんでアメリカは原爆を市街地に落としたの?」(海外反応)

外国人「日本は真珠湾で軍事基地を攻撃したのになんでアメリカは原爆を市街地に落としたの?」(海外反応)

投稿者
なぜアメリカは2つの市民の町に原爆を2つ落とそうと思ったんだとおもいますか? ハワイは当時アメリカではなく海外にあるアメリカの基地でそこを攻撃された結果な訳ですが


海外「天皇に蝦夷の血が…?」中世日本の蝦夷と朝廷の戦いに海外興味津々(海外反応)

海外「天皇に蝦夷の血が…?」中世日本の蝦夷と朝廷の戦いに海外興味津々(海外反応)

投稿者
戦争をしていて、なかなか勝てず、自軍の軍資金がなくなってしまったら? 朝廷側はそういう状況にあった 朝廷軍はエミシの何杯の兵力を持っていたが、それでも日本の北部を守ることは難しかった 一方エミシ側はゲリラ戦法を取っていたから楽だった 騎馬で攻めるエミシは水のようにあちらこちらへ流れ込み、朝廷軍を打ち負かした 相手の陣の手薄なところを自由自在に攻めたのだ いじめっこを倒すときと同じやり方だね



兵が多すぎるのが、朝廷軍の弱点でもあった 兵糧も軍資金もかかるし、兵を鍛える必要もある 剣を与えて終わりではない
792年、桓武天皇が「もういい」と言ったので朝廷軍は撤退 それ以降は各地で防衛軍を持つようになる 979年にはエミシ討伐のために坂上田村麻呂が征夷大将軍となる この称号はいろいろな英訳があるが、もっとも強そうなものを紹介しよう 「野蛮人打倒大隊長」 まって、これって「ショウグン」の元祖? そうだよ のちにこれが縮まって将軍という軍事政権が700年も続くことになる 田村麻呂は実は2番目の征夷大将軍 最初にその座に就いたのは大友弟麻呂というひとだった 

田村麻呂は朝廷の戦略のために征夷大将軍になった それ以前は一般人が朝廷軍を率いていたが、戦争経験がない人間では勝てず、経験のあるものを高位につけることにした T村麻呂は武家の出身 800年に田村麻呂は軍を率いて北へ向かい、エミシを打ち負かしてリーダー2人を捕らえた そのひとりが有名なアテルイだ 802年に蝦夷のリーダーは京都へ送られ、打ち首にされた 蝦夷と和平交渉をしていた田村麻呂はこれに反対したという 

これがサムライの始まりだが、このとき戦い方も変化している エミシの騎馬での戦い方を見た朝廷側はそれを真似た 鉄の鎧から、軽い革の鎧へ また刀の形もまっすぐなものから少しカーブしたものになった 騎馬で斬るのに適しているという説と、強度を増すためという説がある 刀の打ち方を変えて、刃の部分を強くしたところ、背の部分が縮んでカーブしたというのだ
811年、桓武天皇は戦の終結を宣言 桓武天皇が成し遂げた事業は2つあり、ひとつは平安京遷都 もうひとつはエミシとの戦争だが どちらも大変金がかかるもの 朝廷に予算はもうなかった 朝廷軍は811年の戦いで勝利を宣言して撤退 しかしエミシはいなくなったわけではない その後の蝦夷の攻撃を、朝廷は地域の内乱と言い張った これが日本的なやり方 降伏していないものをだんだんと懐柔していく作戦だ エミシは水のようなもの たたきつけると飛び散るが、布でゆっくりふき取るとしみこんでいく 朝廷はだんだんと日本人の家をエミシの領土に広げていった そこに京都にも匹敵する大都市が出来上がる

出羽と陸奥には蝦夷の氾濫が続いていた そこで朝廷は異人は異人に治めさせることにした 降伏したエミシの将軍に陸奥と出羽をおさめさせたのだ この地域は平安時代、朝廷から独立した存在だった 奥州藤原氏だ 娘を皇室に嫁がせ朝廷を支配した藤原氏の支流 藤原清衡の父は藤原氏、母はエミシだった 奥州藤原氏は日本の北部で、藤原氏から離れて地域を支配する そして平泉に首都を置き、東北を支配して繁栄した 日本の歴史は朝廷側が記したもので、この地域のことはあまり残っていないが 平泉を掘り返すと陶器や高価な貿易品が出土する この地域が経済的にも政治的にも京都に匹敵する地域だったことがよくわかる 清衡の使命は巨大な寺院と庭を造ることだったから、文化的拠点だったともいえるかもしれない
平泉でエミシは繁栄した その後1189年に源頼朝が攻撃して奥州藤原氏は滅亡する


外国人「日本の学校では第二次世界大戦に検閲がかかるって聞いたけど本当?」(海外反応)

外国人「日本の学校では第二次世界大戦に検閲がかかるって聞いたけど本当?」(海外反応)

投稿者
日本の学校では実際に第2次世界大戦についての検閲があるって聞くけど本当にある? それともない?


外国人「日本のへの原爆投下が結果的に多くの命を救ったと正当化できるなら天安門はどう言い訳できる?」(海外反応)

外国人「日本のへの原爆投下が結果的に多くの命を救ったと正当化できるなら天安門はどう言い訳できる?」(海外反応)

投稿者
もしアメリカが原爆を正当化できるなら、中国だって天安門事件を正当化できるんじゃない

アメリカが原爆を投下したことの言い訳で一番使われてるのが、原爆が結果的に多くの日本人の命を救った、ってコトだよね
もし、原爆が投下されなかったら、日本はあの時期に速やかに終戦に合意しなかっただろうから、本土決戦が始まってより多くの命が失われることになった、ってわけ
天安門事件だって、もし抗議活動をしてた人たちに対して政府が強い態度に出なかったら、活動が全土に広がってた可能性もあるよね
そうしたら、政府の弾圧も強化されて、結果としてもっと多くの命が失われてたかもしれないんだ
天安門事件で中国政府が取った行動は、中国人の頭に原爆を投下された日本人が持ったのと同じくらいの『恐れ』っていう感情を叩き込んだんだと思う



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