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海外「俺なら島津義弘!」1位は意外な人物?外国人が選ぶ日本の武将TOP10に海外興味津々(海外反応)

海外「俺なら島津義弘!」1位は意外な人物?外国人が選ぶ日本の武将TOP10に海外興味津々(海外反応)

投稿者
日本の武将トップ10

今週は戦国時代の長篠の合戦を特集する予定だったけど、まだ参考文献が揃わないから、今回は趣向をちょっと変えて、トップ10シリーズを紹介しようと思う
趣向についてはずっと温めてきたんだけど、まずは武将から始めよう
レジェンドになり、その後の日本の歴史に影響を与えたような侍の武将たちだ
ただし、選考基準は戦で手柄を立てたとかじゃないから、有名な武将でも真田幸村とか源義経は出てこないよ
僕の選考基準は、彼らの功績だ
彼らのレガシーを検証して、それがその後の日本にどんな影響を与えたかで判断してる
僕なりの判断基準でそのレガシーを評価してるんだ
だからどの戦いでAがBを破ったから、Aはより上位に位置づけられる、とかにはしていない
だから、これを見てくれた人と僕の間でリストに違いが出てくることも十分ありうるよ
もし、僕のリストとは違うリストを考えてる人がいるなら、是非その意見を聞かせてほしい



10位 - 平清盛
12世紀の武将、その頃の日本は全く異なる時代だった
サムライはパワフルだったけど、日本を支配していたわけじゃない
しかし、京都を根底から覆した保元の乱と平治の乱を経て、平清盛は表舞台に登場した
京都の騒乱が収まるころには、平清盛は源氏を始めとするほとんどのライバルたちを打ち負かし、源氏を遠く離れた土地まで追いやっていた
1180年までには、彼はその力を最大限に利用して天皇に影響を与え、政治をつかさどり、その後何代にもわたる平家の安定を確立した
しかしそれは、平清盛が自分の孫を次の天皇につけようとしたことでほころびが見え始め、源平の戦いへと発展する
この戦いで平家は力を急速に失っていくが、平清盛は戦いで命を落とすことはなく、戦局の初期の段階で寿命が尽きて亡くなった
源平の戦いで敗れたことよりも、存命中の政治力と軍事戦略の優秀さで彼をランクインさせることにした

9位 - 武田信玄
1540年までに、日本は本格的な戦国時代を迎えていた
当時武田家は、分家を通して様々な土地を修めていたが、その力は少しずつ弱まっていた
最後の砦が甲斐の国だった
武田信玄の父信虎は家を継いだばかりだったが、その考えのない軍事戦略の失敗が続き、武田家の存続は風前の灯火だった
信玄は武力革命を起こし、武田家を自分のものとする
もしこの謀反が失敗していたら、武田家はそのまま滅び去っていただろう
信玄のもとで、武田家はその領地拡大に成功する
その後武田家は、織田信長に対抗できる唯一の勢力に成長した
信玄は軍事戦略における天才で、その才能は上杉謙信に対峙した川中島合戦で真価を発揮した
彼は又、その治世戦略を通して達成した安定性でも知られている
彼は孫氏の兵法に精通し、そこから風林火山というコンセプトに到達した
しかし、信玄は後継ぎには恵まれなかった
彼は優れた戦術を子であり後継ぎである勝頼に伝えきることができず、勝頼の代に武田家は滅び去ることになる

8位 - 上杉謙信
戦国時代、上杉家は日本で最も強力な武将だった
しかし、その軍事力衰退と家内での不協和音が上杉家を滅ぼすところだった
長尾景虎が居なければ、上杉家は1551年までに敵の前にひざまずくところであった
景虎は、当時窮地に陥っていた上杉憲政に自らを後継者にするように持ち掛け、越後の実権を彼に与え、関東地方において将軍に次ぐ地位を与えるよう迫った
選択肢がなかった上杉憲政は、これを受け入れざるを得なかった
これにより上杉家は再び団結し、その地位を維持することが叶った
景虎はその後仏教の教えを信じ、その名を謙信と改める
その後謙信は、関東一体で北条氏を相手取り様々な戦いを繰り広げた
武田信玄とは、川中島の合戦で越後に進軍しようとした武田軍との間で雌雄を決した
彼は信玄の対極に位置する武将だ
信玄が後継者の育成に失敗したのとは反対に、上杉家は存続を続け、現代にもその名をとどめている

7位 - 毛利元就
毛利元就は、才能ある軍事戦略家だった
勝てる見込みのない戦局を覆し、勝利を収めたことが何度もある
その中で最も有名なのが、厳島の戦いだろう
彼は敵の軍勢を一人残らず小島に囲い込み、総勢を打ち破ることに成功した
これにより毛利家は日本中にその名をはせることになる
安芸のとるに足らない小名から、元就の指揮のもとにライバルを蹴散らし、実質本州西部を手中に収めた
自身の死後も、自身の3人の息子たちに強力な団結を促し、彼らもその遺志に応えて奮闘した
関ヶ原の合戦では敗戦者側に置かれたが、戊辰戦争においてそのリベンジを果たす
戊辰戦争では毛利家は、尊皇派の先頭に立って戦い、最終的に徳川時代の幕引きに貢献した
毛利家は現在でも続いている

6位 - 西郷隆盛
薩摩藩の侍であった西郷は、戊辰戦争では尊王攘夷派として戦った
徳川幕府転覆成功のカギとなった、鳥羽伏見の戦いの立役者であったと考えられている
徳川家の江戸城明け渡しの際にも活躍した
しかし、明治の改革においては数々の政策に反対したことでも知られている
議論を続けることよりも、日本の軍隊の近代化と再編成促進に注力しようとした
彼の提案がことごとく却下されたことで、彼は明治政府を去り薩摩に戻る
地元では改革に絶望した元武士たちの支持を集め、1877年これが西南戦争に発展する
西郷とその配下は、ことごとく打ち破られる
これはその後、明治天皇から西郷への大きな同情という形で評価を受けるようになる
急速な西洋化の時代にあって、侍の矜持を呼び覚ますものであった
武士道精神はその後の帝国軍にも受け継がれていく
興味深いのは、映画「ラストサムライ」において、渡辺謙が演じた勝元は西郷隆盛をモデルにしたと言われている

5位 - 足利尊氏
モンゴルによる日本侵攻の終わりに、鎌倉幕府は弱体化していた
日本を守るために戦った多くの武将は、何の見返りも得られなかった
幕府の弱体化を察知した後醍醐天皇は、このような武将を味方につけ将軍に対して開戦を宣言した
戦いの初期には鎌倉幕府が有利かに見えたが、その後多くの武将の裏切りを経験することになる
将軍派の巨大勢力を率いていた足利尊氏は、幕府と袂を分かち、古都を天皇の名のもとに平定し、鎌倉幕府を東に追いやることに成功した
この戦いの後で、足利尊氏は最も重要な侍の地位を手にする
しかし後醍醐天皇は侍の弱体化を図ろうとした為、尊氏は天皇に対して反旗を翻し京都を自らの手に取り戻した
この時尊氏は足利将軍の座を創設し、この将軍家はその後235年継続した

4位 - 織田信長
尾張の虚け者に関しては、様々な逸話が残されている
戦国時代に信長はあれよあれよという間に頭角を現した
彼は終わりを統一し、自軍の10倍の規模を持つ敵軍を制圧することに成功した
その後信長は美濃を制圧し、首都にその矛先を向けた
足利将軍家を傀儡とし、彼の名の元での全国での戦いの終焉を訴えた
彼の協力な軍事網は、たとえ周りすべてを敵陣に囲まれていてもそこから不死鳥のようによみがえった
浅井・朝倉を打ち破り、三好家を本州から遠ざけ、武田に壊滅的な打撃を与えた
織田信長は非情な武将だと言われているが、西欧文化に並々ならぬ関心を持っていたことでも知られている
西欧の火器を最初に戦いで採用したことでも知られている
1582年の明智光秀の造反がなければ、信長が天下を平定することも可能だっただろう
しかし、彼は基礎を作り上げ、彼の後継者たちによって全国統一は果たされることになる
織田信長は、その後の日本の統一に寄与した三英傑の一人として名を残している

3位 - 豊臣秀吉
信長の家来であった秀吉は、平民の子として生まれた
しかしその後の献身的な奉仕により、のちに侍の地位に昇格した
信長の狡猾な戦略を学んだ秀吉は、1582年に信長が命を落とした時には毛利氏と対峙していた
毛利氏と停戦合意を結び、秀吉はすぐさま信長の陣営へと駆け戻った
裏切者の明智光秀を破り、かつての仲間であった柴田勝家を討ち果たしにかかる
これらの戦いでの勝利を通じて、秀吉は信長の天下平定の後継者とみなされるようになる
1585年秀吉は四国に侵攻し、武力外交により岡部氏を倒し、さらに九州にも足を延ばす
彼の最後の難敵が関東を支配していた北条氏だったが、これを1591年の戦いで破ることに成功した
この戦いの後では、日本で秀吉に歯向かうものはいなかった
しかしその後、秀吉はいくつか疑問が残る決断をする
その一つが侍以外から刀を取り上げる刀狩りだ
もう一つが、昇進の制限、足軽から侍になる、と言ったことができないようにした
最も顕著な失策が、二度にわたる朝鮮への進軍だ
秀吉は1598年に命を落とすが、彼が日本に残したものは新たな混とんだった
しかし彼の存在は、三英傑の第2番目として記録されている

2位 - 徳川家康
今回のリストにあげた武将の中で、もっとも忍耐力があると言えば家康だろう
元々は松平元康として知られているが、自分の機が巡ってくるまでひたすら待ち続けた
今川義元のもとで織田を敵に回して戦ったが、今川が倒されると即独立を宣言し、織田信長と同盟を結ぶことにする
その後は一心に自らの地位を高めることに精進する
名前も徳川と変えた
武田家を破ったことで、家康は広大な領地を手中に収めることに成功した
北条氏の敗退の後、家康はわざと朝鮮出兵から自分の兵を外し、秀吉の死後は最強の武将として名をはせた
秀吉派を相手に戦った関ヶ原の戦いに勝利したことで、徳川将軍家の設立を成し遂げる
この幕府はその後約265年にわたって繁栄した
家康は日本統一を図った三英傑の最後の武将として知られている
戦国時代を終わらせ、平和な時代を作り上げたのだ

1位 - 源頼朝
このリストは最後にまた12世紀に戻ってきた
源頼朝は平清盛によってその地を追われた源氏の一員だ
平清盛が自分の孫を天皇に据えると宣言した時、多くのものが憤慨し、源氏を呼び戻して平家に対して戦いを挑むべきだという声が上がった
源平合戦の始まりだ
しかし、頼朝はすぐに亡命から戻ったわけではない、彼はその頃関東で北条氏から人質としてとらわれていたのだ
頼朝は北条氏の信頼を勝ち取り、共に平家に対して戦いを挑むことにする
その後勢力は拡大し、頼朝は平家だけでなく源氏内部でも彼にたてつく勢力に対して戦いを仕掛ける
源平合戦は、壇ノ浦の戦いにおける源氏の勝利で幕を下ろす
頼朝は日本一の武将となった
日本の安定を確保するためには、侍を頂点とする社会システムの構築が必要であった
彼は最初の将軍制度を確立する
ここで、勢力が天皇から将軍に移ることになった
頼朝のお陰で、侍が天下を取るという基盤が出来上がり、その後の7世紀もの長期にわたる侍主導の時代を作る礎となったのだ


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投稿者
NHKが差別をしてる ステレオタイプとピエロがいっぱい



米デモ解説の動画に「差別的」の声 NHKが削除し謝罪

 NHKの国際情報番組「これでわかった!世界のいま」の公式ツイッターが投稿した、米国の人種差別抗議デモについて解説する動画に、「差別的で現実と乖離(かいり)している」との声があがっている。NHKは9日に動画を削除したうえ、「配慮が欠け、不快な思いをされた方にお詫(わ)びします」と謝罪した。

 問題となった動画は、米国でデモが起きている理由を解説する1分強のアニメ。7日放送の番組内で放映し、同日中に番組の公式ツイッターで紹介された。

 その中では、財布を握りしめた筋骨隆々の黒人男性が粗野な口調で「黒人より白人は平均で資産を7倍も持っているんだ」「そこによう! 新型コロナウイルスの流行だ」などと話し、抗議の背景にあるのは経済問題だと説明。男性の周囲には、黒人の男女が火などを持っている、暴動を連想させる様子が描かれた。





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