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海外「まさにレジェンド…」義経に楠木正成…日本の歴代『伝説の侍』の一生に海外興味津々(海外反応)

海外「まさにレジェンド…」義経に楠木正成…日本の歴代『伝説の侍』の一生に海外興味津々(海外反応)

投稿者
伝説のサムライ

今日は、クールな伝説のサムライがテーマだよ
さぁ、誰が一番クールなサムライに選ばれるかな、こうご期待!



先ず最初は、義経と弁慶
これは日本で一番有名な兄弟愛を描いてるものだよ
源義経は有名な武将で、有名な武勇伝がいっぱいある
彼には西塔武蔵坊弁慶っていう右腕がいたけど、彼の名前は歴史には数回しか出てこない
弁慶は生まれる前から頑固者だったらしい
お母さんのお腹の中に18ヶ月も居座っていたんだって
弁慶は大柄で声の大きな奴だった
彼は僧侶だったんだけど、寺を飛び出して日本中を歩き回り、まぁ色々やってたんだ
この二人の出会った様子は有名な話だ
ある日弁慶は、刀を1000本奪い取ろうと決心した
何故かって? だって彼が周りを見回すと、金持ちで馬を1000頭持ってる人とかいるし、
弓を1000本持ってる人もいる
金持ちは何にせよ1000持ってる、って感じじゃん
自分が刀を1000本持ってたら、人は自分の事を金持ちだって思うかな、って考えたんだ
弁慶は夜の京都の町に繰り出し、出会う人々に果し合いを挑み勝つと刀を取り上げていった
すぐに京都の町には、10尺の大男が人々から刀を取り上げてるって噂が駆け回った
数か月で、弁慶は999本の刀を取り上げていた
彼は、1000本目にはそれにふさわしい刀が見つかるといいなぁ、って思いながら五条橋に差し掛かる
するとどこからともなく、美しい横笛の音色が聞こえてきた
夢見がちの少年が、女性のベールをつけてこちらにやってくるのが見て取れた
なよっとした感じの少年だったけど、弁慶は彼の腰の立派な刀に身が吸い寄せられた
これはちょろいと思った弁慶は、大音声で「その刀をこっちによこせ!」って叫ぶ
これが刀を奪っているやつに違いないと思った義経は、これを拒否する
両者の戦いが始まったけど、これは弁慶が考えていたようには進まなかった
義経は小柄な少年だったけど、すばしっこくて橋の上を飛び回ってた
弁慶が義経の前に立ちはだかった時には、2段蹴りをかましたりした
最後には義経が勝ったんだけど、弁慶の強さを認めた義経は自分の家来にならないか、と尋ねる
ここから後、有名な主従関係が築かれていき、弁慶は義経の一番の家来となる
弁慶の忠臣は最後まで揺らぐことがなかった
最後の戦いで負けを悟った義経は、切腹しようした
弁慶は敵が義経の切腹を邪魔しないように守りを固め、自らも弓や刀に傷つきながらも戦い続け、誰も義経に近寄らないようにしていた
敵陣は長い間義経に近づけずにいたが、しばらくして弁慶が立ったままで死んでいることに気が付いた、死んでも義経を守り続けていたのだ。。。。
このおかげで、義経は彼の家族と共に切腹をすることができた
義経と弁慶は、日本で最も気高い武士として知られている

ここで、これより優れていたと言われる武士を紹介しよう
戦いで武名を揚げただけではなく、一度も怪我を負うことがなかったサムライ
本多忠勝だ
彼の名前は、サムライに興味がある人なら良く知っていると思う
彼は三河の出身で、元々浄土宗の熱心な信者だった、これは一向一揆で有名になった一向宗に打ち負かされた宗教だ
当時まだ松平元康と名乗っていた後の徳川家康が三河に戻り、元々自分の領土であった土地を桶狭間の戦いの後で取り戻すと、忠勝は浄土宗を捨て徳川家康の側につくことにした
その後の生涯、忠勝は家康に忠誠を示し続け、数々の戦いで彼の右腕として戦った
姉川から三方ヶ原の戦いまで、そして長篠から小牧・長久手の戦い、小田原から関ヶ原、そしてもっと数多くの戦いで家康に付き従っていた
彼がいるということが、戦いに力を与えた
彼の武将としての能力だけでなく、彼のルックスも敵に恐れを抱かせる原因だった
名工村正の名の入った愛槍の蜻蛉切を抱え、敵ににらみを利かせていた
彼の名声は周りの尊敬を集めていたため、家康が豊臣秀吉との戦を行った際には、思いがけない効力をあげた
忠勝の名声を聞き及んでいた秀吉が、忠勝との戦いを避けたのだ
彼の経歴だけが、彼を優れた武将としているのではない
数々の戦いを無傷で切り抜けたことが、彼を優れた武将としているのだ
これは彼が1610年に畳の上で寿命を終えるまで続いた
彼は日本が生んだ最も優れた武将の一人と言うだけでなく、戦場での死を逃れた武将としてその名を後世に知らしめている
ふーん、一度も切られなかったんだ、紙でスパッと指を切るとかもなかったのかな?

さぁ、今度は自分の主人の為にすべてを捧げたサムライを紹介するよ
楠木正成だ
最初の幕府は1185年に打ち立てられた軍事政権
その後朝廷よりも力をつけてきちゃったから、後醍醐天皇は腹を立てて自分の軍勢を集め幕府転覆をはかるんだ
楠木正成は、この軍隊の忠臣
朝廷の時代は、その後足利尊氏が反乱を起こすまで2年半ほど続いた
尊氏はサムライの力を取り戻そうとして、朝廷軍よりも大きな軍を率いて首都まで攻め込んでくる
正成は、この軍勢と正面切って戦うことは得策ではないとして、一旦首都を離れゲリラ戦を展開するべきだと提案した
天皇はこの話に興味を示したが、他の家臣と相談してやはり敵陣と正面からぶつかることにしたんだ。。。。。
正成はこれは自殺行為だって分かってたけど、自分は逃げることなく敵に立ち向かうことにした
この戦いに臨むってことは、自らの死を意味する
戦場に赴く前に、正成は自身の11歳の息子に「何が起きても天皇に対する忠誠を忘れてはならない」と語った
これが湊川の戦
戦いは長引いたが、朝廷側にとっては厳しいもので、正成と彼の兄弟、そしてごくわずかの兵だけが残った
残った全員が、切腹することを決意した、当時は他に方法なんてなかったからね
ここで正成の兄弟が「7度生まれ変わっても、この国に忠誠を捧げる」っていう有名なセリフを残す
正成もこれに賛意を示し、彼らは全員切腹して果てる
この後、正成の息子も天皇の為に命を落とす
楠木一族が全員 “忠誠を尽くす” っていう生き方を世に示したんだね

正成が、彼の忠誠心で皆の心に残ってることは認めよう
今度は、その忠誠心が後の日本に何世代にもわたって影響を与えたサムライを紹介しよう
実は普段はあまり顧みられることがない人物なんだ
あまくに(天国)は刀鍛冶だった
後の刀のもととなる太刀を作り上げたものとして知られている
700年ころの大和の国、そこにはあまくにと呼ばれる刀鍛冶が暮らしていた
最初は、彼の仕事はそれほど抜きんでた物ではなかった
彼の作る刀はそれほど機能的なものではなかったが、いつの日か素晴らしい刀を作り有名になりたい、という夢だけは持ち続けていた
彼がその当時作っていた刀のデザインは、ほとんど中国や朝鮮など大陸から渡ってきたものを模したものだった
まっすぐな本身に、両刃か片刃が付いたものだった
何とか使うことはできたが、当時の日本での戦いの在り方にはマッチしていないものだった
初期の頃の日本での戦いで使われた刀の主な用途は切り裂くことで、中国で使われたいたように刺し殺すことには使われていなかった
そのような理由から、中国式の刀は無駄に酷使されることが多かった
刃こぼれやゆがみ、刃の割れなどは日常茶飯事だった
当時の鋳物技術力の低さも刀の性能の低さの原因の一つだった
武士が戦場から戻ると、あまくには刀をチェックするようになった
自分の刀に大きなダメージがあることを発見するたびに、彼はとことん悲しくなってしまう
性能を上げるために何ができるだろう?と悩んだ彼は、大胆な方法をとる
彼は息子と共に工房に籠り、神道の神に祈りを捧げ続けた
7日7晩祈り続け、やっと光明が見えてきた
その場で彼は刀づくりをはじめ、今までになかったような刀を作り始める
焼き入れをして、鉄を折り重ねていくことで不純なものを取り除き、鋼を鍛えていく
最初の太刀を作り上げた
強い反りをもった片刃の刀で、日本式の戦いにはより適している
当時の刀鍛冶は、このデザインに懐疑的だった
今まで何世紀にもわたって使い続けてきた刀よりも優れているのだろうか?
結果的に、彼の刀が優れていることは証明された
あまくにの刀を携えて戦場に臨んだ武士たちは、刃こぼれもしていない刀と共に国に戻り、その刀の素晴らしさを語り草にした
その後、太刀が日本での戦いの主な武器となった
時代が立つごとに、デザインはますます機能性を増し、更に洗練されたデザインも見られるようになってきた
野太刀、脇差、そしてもちろん刀など
これらの優れた武器も、あまくにがいなければ生まれることはなかっただろう

へぇー、でもこの人は刀作ってただけだよねぇ??
僕が刀を使いこなした名人を紹介するよ
彼の名前は宮本武蔵、刀の達人だって言われてる
60以上の決闘に臨んですべて勝った、って話だよ
伝説の決闘が、ライバル佐々木小次郎との戦い
小次郎は大きな男で、使ってた刀も大太刀だった
決闘の当日、小次郎や見物人が決闘場で待っていた時、武蔵は船の上で寝過ごしちゃった
わざと遅れたって言う人もいるけどね、小次郎をイライラさせるための戦術だ
武蔵は剣の達人ってだけじゃなくて、戦略家でもあった
自分が勝つために、使えるものは何でも使ったんだ
寝過ごした後で武蔵がやったのは、船のオールを刀みたいに削ったこと
この理由については諸説あるよ
一つは小次郎の刀に匹敵するよう(に見える)大きな刀を持ってる、って思わせたかった
別の説では、木刀の先がちょっと見えるように抱えて、小次郎をびっくりさせたかったって言うもの
ようやく武蔵が現れた時には、3時間も待たされていた小次郎はカンカンだった
武蔵が木刀を抱えてるって分かった時、小次郎の怒りは頂点に達したよ
武蔵がこの決闘を真剣に考えてない、って思ったんだ
小次郎は有名な燕返しを繰り出すと、武蔵も彼の木刀を繰り出す
小次郎の刀は武蔵の鉢巻きを切ったけど、武蔵の木刀は小次郎の頭をたたき割った
小次郎は命を落とし、武蔵の全勝記録は続いた


海外「正代が横綱の顔してる!」朝乃山・高景勝・正代…次の横綱候補予想に海外大盛り上がり(海外反応)

海外「正代が横綱の顔してる!」朝乃山・高景勝・正代…次の横綱候補予想に海外大盛り上がり(海外反応)

投稿者
3人の大関のうち最初に横綱になるのは誰だと思いますか?
朝乃山は身体が大きくて力を振るう事をきたいされている 貴景勝はたくさんのけがを抱えているが健康なときはまっすぐなパワーがある 正代はは今年あまりにもすごかった
だれも白鳳に匹敵するとは思わないし 鶴龍にもおよばないかも でもお年寄りは日本人の横綱を切望している  予想して


海外「初めての瞬間…」国民に向けた金正恩涙の謝罪に海外衝撃(海外反応)

海外「初めての瞬間…」国民に向けた金正恩涙の謝罪に海外衝撃(海外反応)

北朝鮮が新型ICBM公開、 金正恩氏が涙で演説

 朝鮮労働党の創建記念日を迎えた北朝鮮は、異例となる深夜の軍事パレードを行いました。北朝鮮最大級のICBM=大陸間弾道ミサイルの型も公開し、核戦力増強を誇示しています。

 北朝鮮の国営テレビは、10日午前零時から行ったという党創建75年を記念する軍事パレードの様子を放送しました。

 登場した金正恩(キム・ジョンウン)党委員長が、花束を渡した子どもたちのほほにキスをする様子も。新型コロナについて感染者は一人もいないと演説で明言した金党委員長はじめ、参加者は誰一人マスクをしていません。

 「わが人民軍の愛国的かつ英雄的な献身には、感謝の涙なしではいられない」(金正恩党委員長)

 経済制裁、新型コロナ、台風被害と三重苦の中で迎えた記念日に金党委員長は、涙ぐみながら軍や党員に感謝を伝え、さらに国民に対しては・・・。
 「まだ(私の)努力と真心が足りず、我が人民は生活上の困難を脱することができずにいます」(金正恩党委員長)
 「金正恩委員長も自ら涙を流して、それに対して聴衆も涙を流すと。“指導者と党と人民、三者の一体化”が特徴的な『演出』」(慶應大・礒崎敦仁准教授)





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