- Date: Wed 18 12 2019
- Category: 歴史
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海外「天皇に蝦夷の血が…?」中世日本の蝦夷と朝廷の戦いに海外興味津々(海外反応)
海外「天皇に蝦夷の血が…?」中世日本の蝦夷と朝廷の戦いに海外興味津々(海外反応)
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戦争をしていて、なかなか勝てず、自軍の軍資金がなくなってしまったら? 朝廷側はそういう状況にあった 朝廷軍はエミシの何杯の兵力を持っていたが、それでも日本の北部を守ることは難しかった 一方エミシ側はゲリラ戦法を取っていたから楽だった 騎馬で攻めるエミシは水のようにあちらこちらへ流れ込み、朝廷軍を打ち負かした 相手の陣の手薄なところを自由自在に攻めたのだ いじめっこを倒すときと同じやり方だね
兵が多すぎるのが、朝廷軍の弱点でもあった 兵糧も軍資金もかかるし、兵を鍛える必要もある 剣を与えて終わりではない
792年、桓武天皇が「もういい」と言ったので朝廷軍は撤退 それ以降は各地で防衛軍を持つようになる 979年にはエミシ討伐のために坂上田村麻呂が征夷大将軍となる この称号はいろいろな英訳があるが、もっとも強そうなものを紹介しよう 「野蛮人打倒大隊長」 まって、これって「ショウグン」の元祖? そうだよ のちにこれが縮まって将軍という軍事政権が700年も続くことになる 田村麻呂は実は2番目の征夷大将軍 最初にその座に就いたのは大友弟麻呂というひとだった
田村麻呂は朝廷の戦略のために征夷大将軍になった それ以前は一般人が朝廷軍を率いていたが、戦争経験がない人間では勝てず、経験のあるものを高位につけることにした T村麻呂は武家の出身 800年に田村麻呂は軍を率いて北へ向かい、エミシを打ち負かしてリーダー2人を捕らえた そのひとりが有名なアテルイだ 802年に蝦夷のリーダーは京都へ送られ、打ち首にされた 蝦夷と和平交渉をしていた田村麻呂はこれに反対したという
これがサムライの始まりだが、このとき戦い方も変化している エミシの騎馬での戦い方を見た朝廷側はそれを真似た 鉄の鎧から、軽い革の鎧へ また刀の形もまっすぐなものから少しカーブしたものになった 騎馬で斬るのに適しているという説と、強度を増すためという説がある 刀の打ち方を変えて、刃の部分を強くしたところ、背の部分が縮んでカーブしたというのだ
811年、桓武天皇は戦の終結を宣言 桓武天皇が成し遂げた事業は2つあり、ひとつは平安京遷都 もうひとつはエミシとの戦争だが どちらも大変金がかかるもの 朝廷に予算はもうなかった 朝廷軍は811年の戦いで勝利を宣言して撤退 しかしエミシはいなくなったわけではない その後の蝦夷の攻撃を、朝廷は地域の内乱と言い張った これが日本的なやり方 降伏していないものをだんだんと懐柔していく作戦だ エミシは水のようなもの たたきつけると飛び散るが、布でゆっくりふき取るとしみこんでいく 朝廷はだんだんと日本人の家をエミシの領土に広げていった そこに京都にも匹敵する大都市が出来上がる
出羽と陸奥には蝦夷の氾濫が続いていた そこで朝廷は異人は異人に治めさせることにした 降伏したエミシの将軍に陸奥と出羽をおさめさせたのだ この地域は平安時代、朝廷から独立した存在だった 奥州藤原氏だ 娘を皇室に嫁がせ朝廷を支配した藤原氏の支流 藤原清衡の父は藤原氏、母はエミシだった 奥州藤原氏は日本の北部で、藤原氏から離れて地域を支配する そして平泉に首都を置き、東北を支配して繁栄した 日本の歴史は朝廷側が記したもので、この地域のことはあまり残っていないが 平泉を掘り返すと陶器や高価な貿易品が出土する この地域が経済的にも政治的にも京都に匹敵する地域だったことがよくわかる 清衡の使命は巨大な寺院と庭を造ることだったから、文化的拠点だったともいえるかもしれない
平泉でエミシは繁栄した その後1189年に源頼朝が攻撃して奥州藤原氏は滅亡する
ブルース・リー「水のようにあれ」 アテルイ「ほっといてくれ」
鎧が鉄器から革製に代わったのは諸説あるよね でも革製のほうが安いからそちらにしろという公文書が残っていたはず
最初だけ聞いてたらアフガニスタンの話かと思った
勝てないうえに金がないときちゃね…
そうか、エミシは藤原氏のもとで一花咲かせたんだな
これがサムライの始まりだね
刀の形がどうであれ、勝てばいいんじゃないの
田村麻呂はアテルイを殺さないよう奔走したけど失敗して、アテルイの首を見て泣いたそうだよ そのとき造った墓がいまも残っている
これって、天皇にもエミシの血が入ってるってこと?
藤原氏のイラスト好き
もうこの戦には勝てないと思ったら、月から船を呼んじゃうな
エミシは霊力を使っていたんだよ だからすごいダメージを与えられた
異人には異人を使えって、ローマでもやってたね
続きも平安時代かな? 面白かった
大伴弟麻呂って、桃太郎のモデルって言われてるひとだよ
エミシは木のなかに生きているんだよ
このシリーズにはおなじみの藤原氏
日本の歴史ってどの地域も複雑なんだな
藤原氏は天皇に娘を嫁がせることで平安時代の200年のあいだ朝廷を支配したんだよね これ見て思い出した
エミシと戦うにはゴジラを呼ばなきゃ
歴史の授業大好き!
https://www.youtube.com/watch?v=pbuQ9kkiHm0
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戦争をしていて、なかなか勝てず、自軍の軍資金がなくなってしまったら? 朝廷側はそういう状況にあった 朝廷軍はエミシの何杯の兵力を持っていたが、それでも日本の北部を守ることは難しかった 一方エミシ側はゲリラ戦法を取っていたから楽だった 騎馬で攻めるエミシは水のようにあちらこちらへ流れ込み、朝廷軍を打ち負かした 相手の陣の手薄なところを自由自在に攻めたのだ いじめっこを倒すときと同じやり方だね
兵が多すぎるのが、朝廷軍の弱点でもあった 兵糧も軍資金もかかるし、兵を鍛える必要もある 剣を与えて終わりではない
792年、桓武天皇が「もういい」と言ったので朝廷軍は撤退 それ以降は各地で防衛軍を持つようになる 979年にはエミシ討伐のために坂上田村麻呂が征夷大将軍となる この称号はいろいろな英訳があるが、もっとも強そうなものを紹介しよう 「野蛮人打倒大隊長」 まって、これって「ショウグン」の元祖? そうだよ のちにこれが縮まって将軍という軍事政権が700年も続くことになる 田村麻呂は実は2番目の征夷大将軍 最初にその座に就いたのは大友弟麻呂というひとだった
田村麻呂は朝廷の戦略のために征夷大将軍になった それ以前は一般人が朝廷軍を率いていたが、戦争経験がない人間では勝てず、経験のあるものを高位につけることにした T村麻呂は武家の出身 800年に田村麻呂は軍を率いて北へ向かい、エミシを打ち負かしてリーダー2人を捕らえた そのひとりが有名なアテルイだ 802年に蝦夷のリーダーは京都へ送られ、打ち首にされた 蝦夷と和平交渉をしていた田村麻呂はこれに反対したという
これがサムライの始まりだが、このとき戦い方も変化している エミシの騎馬での戦い方を見た朝廷側はそれを真似た 鉄の鎧から、軽い革の鎧へ また刀の形もまっすぐなものから少しカーブしたものになった 騎馬で斬るのに適しているという説と、強度を増すためという説がある 刀の打ち方を変えて、刃の部分を強くしたところ、背の部分が縮んでカーブしたというのだ
811年、桓武天皇は戦の終結を宣言 桓武天皇が成し遂げた事業は2つあり、ひとつは平安京遷都 もうひとつはエミシとの戦争だが どちらも大変金がかかるもの 朝廷に予算はもうなかった 朝廷軍は811年の戦いで勝利を宣言して撤退 しかしエミシはいなくなったわけではない その後の蝦夷の攻撃を、朝廷は地域の内乱と言い張った これが日本的なやり方 降伏していないものをだんだんと懐柔していく作戦だ エミシは水のようなもの たたきつけると飛び散るが、布でゆっくりふき取るとしみこんでいく 朝廷はだんだんと日本人の家をエミシの領土に広げていった そこに京都にも匹敵する大都市が出来上がる
出羽と陸奥には蝦夷の氾濫が続いていた そこで朝廷は異人は異人に治めさせることにした 降伏したエミシの将軍に陸奥と出羽をおさめさせたのだ この地域は平安時代、朝廷から独立した存在だった 奥州藤原氏だ 娘を皇室に嫁がせ朝廷を支配した藤原氏の支流 藤原清衡の父は藤原氏、母はエミシだった 奥州藤原氏は日本の北部で、藤原氏から離れて地域を支配する そして平泉に首都を置き、東北を支配して繁栄した 日本の歴史は朝廷側が記したもので、この地域のことはあまり残っていないが 平泉を掘り返すと陶器や高価な貿易品が出土する この地域が経済的にも政治的にも京都に匹敵する地域だったことがよくわかる 清衡の使命は巨大な寺院と庭を造ることだったから、文化的拠点だったともいえるかもしれない
平泉でエミシは繁栄した その後1189年に源頼朝が攻撃して奥州藤原氏は滅亡する
ブルース・リー「水のようにあれ」 アテルイ「ほっといてくれ」
鎧が鉄器から革製に代わったのは諸説あるよね でも革製のほうが安いからそちらにしろという公文書が残っていたはず
最初だけ聞いてたらアフガニスタンの話かと思った
勝てないうえに金がないときちゃね…
そうか、エミシは藤原氏のもとで一花咲かせたんだな
これがサムライの始まりだね
刀の形がどうであれ、勝てばいいんじゃないの
田村麻呂はアテルイを殺さないよう奔走したけど失敗して、アテルイの首を見て泣いたそうだよ そのとき造った墓がいまも残っている
これって、天皇にもエミシの血が入ってるってこと?
藤原氏のイラスト好き
もうこの戦には勝てないと思ったら、月から船を呼んじゃうな
エミシは霊力を使っていたんだよ だからすごいダメージを与えられた
異人には異人を使えって、ローマでもやってたね
続きも平安時代かな? 面白かった
大伴弟麻呂って、桃太郎のモデルって言われてるひとだよ
エミシは木のなかに生きているんだよ
このシリーズにはおなじみの藤原氏
日本の歴史ってどの地域も複雑なんだな
藤原氏は天皇に娘を嫁がせることで平安時代の200年のあいだ朝廷を支配したんだよね これ見て思い出した
エミシと戦うにはゴジラを呼ばなきゃ
歴史の授業大好き!
https://www.youtube.com/watch?v=pbuQ9kkiHm0