- Date: Thu 17 12 2020
- Category: 出来事・話題
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海外「後世に造られたなんて…」世界大戦へ…日本の武士道はいかにして捏造されたのか?その成り立ちに海外興味津々(海外反応)
海外「後世に造られたなんて…」世界大戦へ…日本の武士道はいかにして捏造されたのか?その成り立ちに海外興味津々(海外反応)
投稿者
19世紀、武士道はいかにして捏造されたのか
サムライを象徴するのは、刀と自分の主への揺らぐことのない忠誠、というのは西洋の映画ファンをここ100年ほど魅了し続けている
中世ヨーロッパの騎士の逸話のように、サムライ、特に武士道は、西欧のメディアで取り上げられ続けている
武士道に対して、欧米人は魅力を感じるとともに驚愕と称賛の心をもっている
しかし一方では、この精神が日本の帝国主義の根幹にあり、日本軍の太平洋戦争中の蛮行に繋がったとも考えている
そうは言っても、一般的に西欧では武士道では偶像崇拝のように扱われており、自己研鑽から、ビジネスでのリーダーシップ論でも武士道が取り上げられている
この背景には、エキゾチックな外国の文化への興味と騎士道にもつながるノスタルジーがあるようだ
武士道と騎士道は2つの部分で似通ったところがある
一つは騎士道も武士道も同じように誤解されているという事
もう一つは、騎士道の魅力も後世に捏造されたものだが、武士道も19世紀に捏造されたコンセプトだということだ
2011年の画期的な博士論文で、Oleg Beneshは『武士道は何世紀にも渡って伝えられてきた武士の規範であり、それが明治の近代化の中で日本社会に融和された』という通説を膨大な量の証拠を持って覆した
Beneshは『武士道は19世紀以前にはほとんど知られていなかったが、1900年以降広く伝搬された』と述べている
このビデオでは、そもそも武士道とはどんなものであったのか、それが19世紀にどのように生み出され、それが20世紀の日本にどのように影響を与えたのかについて紹介したい
武士道の近代以前の歴史
サムライと言えば、宮本武蔵がもっとも有名かもしれない
彼は剣豪と言うだけでなく、詩人でもあり絵も彫刻もこなした
彼は武士道を体現する人物だと考えられている
しかし、彼の実際の暮らしぶりは現在知られている武士道とは全く異なるものだった
数々の戦いで、かれは私兵として雇われ、戦場で主の為に命を投げ出したり、切腹することなく逃げたことも度々あった
敵を欺くために、奇襲をかけたこともあった
ここまで描写したすべての事は、武士道の規範からは外れているように見える
しかし、歴史的なサムライにとっては、これらの事は当たり前の事であったのだ
2011年の博士論文でBeneshは、数々の歴史的文書を検証した結果、近代以前において武士道と呼ばれるようなものが認識されていた証拠は一切なかった、とする
東京大学のYamamoto Hirofumi氏も、大多数のサムライが手本とするような武士道を語る書物は存在していない、と述べている
武士が規範とするべき『武士道』というものは、存在しなかったのだ
Beneshは更に、『武士道という言葉は、近代以前のどの文書にも見られなかった』と言う
歴史研究家たちも、あの時代にたとえほかの言葉であっても武士道と言うコンセプトを表すものはなかったと言っている
Beneshは更に、日本の中世を研究する歴史家も武士道が便利なツールであったとは考えておらず、その研究論文で武士道という言葉が使われることもめったになかった
武士道は19世紀に作り出されたものだ
19世紀半ば、当時の日本のリーダーたちの考え方は、西洋からは大きく後れを取っていた
これに関して、Watanabe Toshio教授は、1868年から1912年までの明治時代、日本は西欧に追いつくために資本主義を標榜し産業化を図ることを決意した
Watanabe氏は、これを達成するために、日本は自身の過去をインスピレーションとして活用することにした、と述べる
『精神性に価値を持たせることにした』のだ
これが『モダン武士道』の誕生を促した
南カリフォルニア大学のLeo Brady教授は、近代化された社会の健康を取り戻すトニックとして作り出されたのだ、と論じる
武士道と言うコンセプトの裏には、2人の全く異なる信条を持つ男たちが存在した
一人は日本人のキリスト教徒新渡戸稲造、もう一人は反キリスト教主義者であった井上哲次郎
元々英語で発行された新渡戸の著書は、西欧の研究者を納得させるものだったが、井上の著書は日本でベストセラーとなり、日本の国粋主義・軍国主義への布石となった
少なくとも10年間海外を旅し、海外で学んだ結果、新渡戸稲造は日本が西欧列強に技術的にも経済的にも遅れをとっていることに懸念を覚えるようになる
その結果、新渡戸は彼の生涯を日本の精神性は海外列強と肩を並べる価値あるものであるということを検証することに捧げた
新渡戸の著書『武士道』は、中世ヨーロッパの騎士道とキリスト教に影響を受けたもので、1899年に英語で発行された
この本の中で新渡戸は、西欧と同様に日本には固有のサムライの規範と言うものが存在することを証明しようとし、これを武士道と呼んでいる
Beneshによれば、新渡戸は実際のサムライの歴史には明るくなく、サムライの規範に対する専門家の見解も知らず、武士道は彼自身が作り出した物であると考えていたようだ
実際、この言葉は一部の歴史家によって、それ以前にも使われていたようだが。。。。
彼には、今まで文書として残されていなかったコンセプトを体系化しようとした、という認識はあったようだ
新渡戸は、文書が残っていないことの理由を、武士道は口述で伝えられたものであるからだと述べている
Beneshによれば、新渡戸の著書は海外の人々に影響を与えたが、日本では大きな批判を受けた
当時のイギリスの研究者の一人も、新渡戸の著書はでっち上げであると批判している
そうは言っても、新渡戸の著書は欧米の研究者に多大な影響を与えた
カリフォルニア大学バークリー校のRobert Scharf博士は、何世紀にも渡ってヨーロッパ人は疑うことなく、明治時代の日本人の自己犠牲の精神や繊細さを信じてきた、と語った
欧米人が新渡戸の著書を読んで感じた武士道に対する郷愁は、実際は全く存在しないものだったのだ
武士道に対する欧米人の感傷は、第2次世界大戦後まで連綿と続いた
新渡戸の著書が発表されたのと同じ頃、日本の哲学者井上哲次郎も彼なりの武士道に関する著作を行っていた
井上は国粋主義を支持し、日本人の魂を文化の核に据えることを目指した
ワシントン&リー大学のWinston Davis教授は、井上は武士道を日本の精神性と社会文化を日本人の生活習慣として守ることを目指し、国粋主義を国民の間に根付かせ、西欧列強と対峙するのに困難さを感じていた当時の日本を鼓舞するのに利用したようだと語っている
井上の民族主義の考えは、時代が進むごとにより強固なものになっていく
井上の歴史の改編と極度な人種差別意識は、当時の政治家達には格好のツールとなる
政治家達は、軍国主義・国粋主義を奨励することに大きな利点があると理解した
天皇への盲目的な信奉と共に、日本国民を大きな一つの軍隊とすることに成功したのだ
大日本帝国が目指した領土拡大政策にとっても、これも都合の良いものであった
Davis教授は、井上の著書が日本の教育に与えた影響に関して、どれほど論じてもその影響が大きすぎたということは言い過ぎではない、と論じている
Beneshも、明治時代井上は武士道の研究に関しては最も影響力のある著者であり編集者であった、と述べている
20世紀の日本におけいて、武士道が与えたインパクト
日本の政治家たちは、この新しい『武士道』のコンセプトを、あらゆるところで都合よく利用しようとしたが、実際の歴史的な根拠については目をつぶっていた
Beneshは、モダン武士道のコンセプトに関して、明治以前の文献が顧みられることはほとんどなかった、と述べている
モダン武士道に都合の良い記述のみが選別され、使われたのだ
これに関しては、Scharfも同様の論調を展開している
モダン武士道は日本人の人種的優位性を国民に信じさせるための道具とされたとして、実際の歴史的文献は都合の良い部分だけが使われた、としている
武士道を武器として利用することで、盲目的な国粋主義・民族主義・帝国主義が生まれた
これが日本を20世紀初頭の日露戦争へと駆り立て、アジアへの侵攻を加速させ、太平洋を制覇しようとする野心へとつながっていく
この、日本での井上の著書への盲信は、新渡戸をがっかりさせる
彼が目指す武士道は、平和を実現することを目指すものであったからだ
新渡戸にとって幸いだったのは、この究極の国粋主義の終焉を見ることなく、彼が生涯を終えたことかもしれない
いやー、見ごたえのあるビデオだった
今まで知らなかった事ばっかりだよ。。。。。
新渡戸が海外に紹介した武士道と、井上が日本で書いた武士道、二つのバージョンがあるなんて知らなかった
武士道は、プロパガンダによって日本で広がったんだね。。。。。
すっごく分かりやすかった
どんな本や情報でも、その意図するところをしっかり理解してから取り入れて行かないといけないね
武士道が後の時代に作られたものだなんて、がっかりだよ
日本の古武道を学んでるけど、僕の道場の人は皆『武士道』なんてものは存在しないって知ってるよ
日本の武道やってる人で武士道を信じてるって言う人がいたら、そいつはまがい物の武道をやってるってことだ!
日本人って、昔からの伝統、って言葉に弱いからなぁ
19世紀に、どれほど日本の歴史が捏造されたか、っていうのは恐ろしいばかりだよ
歴史って、元々人類の生活を豊かにするために進化してるはずなのに、最近は後退してるって感じだなぁ
どこの国だって、レジェンドの実態なんて宮本武蔵の話と似たようなものだよ
サムライの時代の規範って、どうやってその役を演じるかってことを論じるものだったんだろうね
あ、結局武士道の精神って、騎士道の精神と同じようなものだったんだ、どっちも存在してないって意味でね
新渡戸の1931年の著書『The Modern World』を卒論のテーマに選んでたんだよねぇ
吉川英治の『宮本武蔵』を読んだけど、ずっとあれは自伝だって信じてたよ
え、じゃあ忍者もいなかったのかな????
みんなが普通に信じてることに、新たな光を当ててくれてありがとう!
これだけしっかり調べてたら、武士道信者も反論の余地はないね
間違った歴史って、認識されて正されないと、後世でまた間違いを起こすことになる
Hobsbawm と Rangerの共著『作られた伝統』は、一読の価値があるよ、歴史や伝統も盲目的に信じるんじゃなくて、検証することが必要!
https://www.youtube.com/watch?v=yuRW1zkEQpw
https://www.reddit.com/r/badhistory/comments/kcbgpt/how_bushido_was_fabricated_in_the_nineteenth/
投稿者
19世紀、武士道はいかにして捏造されたのか
サムライを象徴するのは、刀と自分の主への揺らぐことのない忠誠、というのは西洋の映画ファンをここ100年ほど魅了し続けている
中世ヨーロッパの騎士の逸話のように、サムライ、特に武士道は、西欧のメディアで取り上げられ続けている
武士道に対して、欧米人は魅力を感じるとともに驚愕と称賛の心をもっている
しかし一方では、この精神が日本の帝国主義の根幹にあり、日本軍の太平洋戦争中の蛮行に繋がったとも考えている
そうは言っても、一般的に西欧では武士道では偶像崇拝のように扱われており、自己研鑽から、ビジネスでのリーダーシップ論でも武士道が取り上げられている
この背景には、エキゾチックな外国の文化への興味と騎士道にもつながるノスタルジーがあるようだ
武士道と騎士道は2つの部分で似通ったところがある
一つは騎士道も武士道も同じように誤解されているという事
もう一つは、騎士道の魅力も後世に捏造されたものだが、武士道も19世紀に捏造されたコンセプトだということだ
2011年の画期的な博士論文で、Oleg Beneshは『武士道は何世紀にも渡って伝えられてきた武士の規範であり、それが明治の近代化の中で日本社会に融和された』という通説を膨大な量の証拠を持って覆した
Beneshは『武士道は19世紀以前にはほとんど知られていなかったが、1900年以降広く伝搬された』と述べている
このビデオでは、そもそも武士道とはどんなものであったのか、それが19世紀にどのように生み出され、それが20世紀の日本にどのように影響を与えたのかについて紹介したい
武士道の近代以前の歴史
サムライと言えば、宮本武蔵がもっとも有名かもしれない
彼は剣豪と言うだけでなく、詩人でもあり絵も彫刻もこなした
彼は武士道を体現する人物だと考えられている
しかし、彼の実際の暮らしぶりは現在知られている武士道とは全く異なるものだった
数々の戦いで、かれは私兵として雇われ、戦場で主の為に命を投げ出したり、切腹することなく逃げたことも度々あった
敵を欺くために、奇襲をかけたこともあった
ここまで描写したすべての事は、武士道の規範からは外れているように見える
しかし、歴史的なサムライにとっては、これらの事は当たり前の事であったのだ
2011年の博士論文でBeneshは、数々の歴史的文書を検証した結果、近代以前において武士道と呼ばれるようなものが認識されていた証拠は一切なかった、とする
東京大学のYamamoto Hirofumi氏も、大多数のサムライが手本とするような武士道を語る書物は存在していない、と述べている
武士が規範とするべき『武士道』というものは、存在しなかったのだ
Beneshは更に、『武士道という言葉は、近代以前のどの文書にも見られなかった』と言う
歴史研究家たちも、あの時代にたとえほかの言葉であっても武士道と言うコンセプトを表すものはなかったと言っている
Beneshは更に、日本の中世を研究する歴史家も武士道が便利なツールであったとは考えておらず、その研究論文で武士道という言葉が使われることもめったになかった
武士道は19世紀に作り出されたものだ
19世紀半ば、当時の日本のリーダーたちの考え方は、西洋からは大きく後れを取っていた
これに関して、Watanabe Toshio教授は、1868年から1912年までの明治時代、日本は西欧に追いつくために資本主義を標榜し産業化を図ることを決意した
Watanabe氏は、これを達成するために、日本は自身の過去をインスピレーションとして活用することにした、と述べる
『精神性に価値を持たせることにした』のだ
これが『モダン武士道』の誕生を促した
南カリフォルニア大学のLeo Brady教授は、近代化された社会の健康を取り戻すトニックとして作り出されたのだ、と論じる
武士道と言うコンセプトの裏には、2人の全く異なる信条を持つ男たちが存在した
一人は日本人のキリスト教徒新渡戸稲造、もう一人は反キリスト教主義者であった井上哲次郎
元々英語で発行された新渡戸の著書は、西欧の研究者を納得させるものだったが、井上の著書は日本でベストセラーとなり、日本の国粋主義・軍国主義への布石となった
少なくとも10年間海外を旅し、海外で学んだ結果、新渡戸稲造は日本が西欧列強に技術的にも経済的にも遅れをとっていることに懸念を覚えるようになる
その結果、新渡戸は彼の生涯を日本の精神性は海外列強と肩を並べる価値あるものであるということを検証することに捧げた
新渡戸の著書『武士道』は、中世ヨーロッパの騎士道とキリスト教に影響を受けたもので、1899年に英語で発行された
この本の中で新渡戸は、西欧と同様に日本には固有のサムライの規範と言うものが存在することを証明しようとし、これを武士道と呼んでいる
Beneshによれば、新渡戸は実際のサムライの歴史には明るくなく、サムライの規範に対する専門家の見解も知らず、武士道は彼自身が作り出した物であると考えていたようだ
実際、この言葉は一部の歴史家によって、それ以前にも使われていたようだが。。。。
彼には、今まで文書として残されていなかったコンセプトを体系化しようとした、という認識はあったようだ
新渡戸は、文書が残っていないことの理由を、武士道は口述で伝えられたものであるからだと述べている
Beneshによれば、新渡戸の著書は海外の人々に影響を与えたが、日本では大きな批判を受けた
当時のイギリスの研究者の一人も、新渡戸の著書はでっち上げであると批判している
そうは言っても、新渡戸の著書は欧米の研究者に多大な影響を与えた
カリフォルニア大学バークリー校のRobert Scharf博士は、何世紀にも渡ってヨーロッパ人は疑うことなく、明治時代の日本人の自己犠牲の精神や繊細さを信じてきた、と語った
欧米人が新渡戸の著書を読んで感じた武士道に対する郷愁は、実際は全く存在しないものだったのだ
武士道に対する欧米人の感傷は、第2次世界大戦後まで連綿と続いた
新渡戸の著書が発表されたのと同じ頃、日本の哲学者井上哲次郎も彼なりの武士道に関する著作を行っていた
井上は国粋主義を支持し、日本人の魂を文化の核に据えることを目指した
ワシントン&リー大学のWinston Davis教授は、井上は武士道を日本の精神性と社会文化を日本人の生活習慣として守ることを目指し、国粋主義を国民の間に根付かせ、西欧列強と対峙するのに困難さを感じていた当時の日本を鼓舞するのに利用したようだと語っている
井上の民族主義の考えは、時代が進むごとにより強固なものになっていく
井上の歴史の改編と極度な人種差別意識は、当時の政治家達には格好のツールとなる
政治家達は、軍国主義・国粋主義を奨励することに大きな利点があると理解した
天皇への盲目的な信奉と共に、日本国民を大きな一つの軍隊とすることに成功したのだ
大日本帝国が目指した領土拡大政策にとっても、これも都合の良いものであった
Davis教授は、井上の著書が日本の教育に与えた影響に関して、どれほど論じてもその影響が大きすぎたということは言い過ぎではない、と論じている
Beneshも、明治時代井上は武士道の研究に関しては最も影響力のある著者であり編集者であった、と述べている
20世紀の日本におけいて、武士道が与えたインパクト
日本の政治家たちは、この新しい『武士道』のコンセプトを、あらゆるところで都合よく利用しようとしたが、実際の歴史的な根拠については目をつぶっていた
Beneshは、モダン武士道のコンセプトに関して、明治以前の文献が顧みられることはほとんどなかった、と述べている
モダン武士道に都合の良い記述のみが選別され、使われたのだ
これに関しては、Scharfも同様の論調を展開している
モダン武士道は日本人の人種的優位性を国民に信じさせるための道具とされたとして、実際の歴史的文献は都合の良い部分だけが使われた、としている
武士道を武器として利用することで、盲目的な国粋主義・民族主義・帝国主義が生まれた
これが日本を20世紀初頭の日露戦争へと駆り立て、アジアへの侵攻を加速させ、太平洋を制覇しようとする野心へとつながっていく
この、日本での井上の著書への盲信は、新渡戸をがっかりさせる
彼が目指す武士道は、平和を実現することを目指すものであったからだ
新渡戸にとって幸いだったのは、この究極の国粋主義の終焉を見ることなく、彼が生涯を終えたことかもしれない
いやー、見ごたえのあるビデオだった
今まで知らなかった事ばっかりだよ。。。。。
新渡戸が海外に紹介した武士道と、井上が日本で書いた武士道、二つのバージョンがあるなんて知らなかった
武士道は、プロパガンダによって日本で広がったんだね。。。。。
すっごく分かりやすかった
どんな本や情報でも、その意図するところをしっかり理解してから取り入れて行かないといけないね
武士道が後の時代に作られたものだなんて、がっかりだよ
日本の古武道を学んでるけど、僕の道場の人は皆『武士道』なんてものは存在しないって知ってるよ
日本の武道やってる人で武士道を信じてるって言う人がいたら、そいつはまがい物の武道をやってるってことだ!
日本人って、昔からの伝統、って言葉に弱いからなぁ
19世紀に、どれほど日本の歴史が捏造されたか、っていうのは恐ろしいばかりだよ
歴史って、元々人類の生活を豊かにするために進化してるはずなのに、最近は後退してるって感じだなぁ
どこの国だって、レジェンドの実態なんて宮本武蔵の話と似たようなものだよ
サムライの時代の規範って、どうやってその役を演じるかってことを論じるものだったんだろうね
あ、結局武士道の精神って、騎士道の精神と同じようなものだったんだ、どっちも存在してないって意味でね
新渡戸の1931年の著書『The Modern World』を卒論のテーマに選んでたんだよねぇ
吉川英治の『宮本武蔵』を読んだけど、ずっとあれは自伝だって信じてたよ
え、じゃあ忍者もいなかったのかな????
みんなが普通に信じてることに、新たな光を当ててくれてありがとう!
これだけしっかり調べてたら、武士道信者も反論の余地はないね
間違った歴史って、認識されて正されないと、後世でまた間違いを起こすことになる
Hobsbawm と Rangerの共著『作られた伝統』は、一読の価値があるよ、歴史や伝統も盲目的に信じるんじゃなくて、検証することが必要!
https://www.youtube.com/watch?v=yuRW1zkEQpw
https://www.reddit.com/r/badhistory/comments/kcbgpt/how_bushido_was_fabricated_in_the_nineteenth/
しかも白人キリスト教徒こそ最高!みたいなチャンネルだし