- Date: Sat 07 05 2016
- Category: 文化
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外国人だからこその視点!?外国人神主の『神道』に対する考え方と苦労に海外興味津々(海外反応)
外国人だからこその視点!?外国人神主の『神道』に対する考え方と苦労に海外興味津々(海外反応)

神道の神主として生きている外国人たちの神道に対する考え方や苦労が海外で話題になっていました
投稿者
外国人の神主が魂の家を神道に見いだしている
外国人ほとんどは神道を明治時代の国教としての神道のイメージをもっています
外国人神主のひとりパット=オムスビーは「神道は不等に第2次世界大戦の責めを負わされています」と言います
しかし戦後の神道は他の地域性や文化、信仰に対してとてもオープンです
青い目のオーストリア人フロリアン=ウェルチコを神主として認めるほどに
かれは2007年神社本庁に認められた最初の外国人神主なのです
どの神社の入り口にもたっている鳥居が神道の本質を表しているとウェルチコさんはいいます
「これは入り口ですが閉じる事ができないのです だれでも入ってくる事ができる
「メンバー」かどうかというのは関係ありません これは神社の入り口であり、だから違う世界なのです
人と神と」
彼はよそ者に見えますがいわはしさんは他の20,000人の他の神主と何の違いもないといいます
完全に日本的な世界ですが日本人ではないという事よりも日々の仕事に集中する事が大事だと言います
東京都渋谷区にある金王八幡宮で働いているのですがほとんどの日本人は彼の存在にも気づいていないでしょう
ウィルチコさんの前にも外国人神主はいましたが神社本庁に認められていませんでした オムスビーさんは
日本に1984年から住んでいてその1人です 最初は金刀比羅宮神社で訓練を受けたのです
日本で訓練されて日本で実際に働いているのはアメリカ人のコウイチ=バリッシュ、オランダ人ポール=デ=リーウ、
それにオーストラリア人のケイトゥリン=ストロネルです ですが彼らは神社本庁には認められていません
それでも日本中の神社で儀式を行う事が出来ますし海外に自分の神社を開く事だって出来るのです
これは神道が日本の国教だった明治のころには考えられない事でした
第2次世界大戦以前の日本で外国人が神主になる事は可能だったかと聞かれたオムスビーさんは「たぶん無理だったでしょう」
といいました「私は日本初ではありましたが当時シアトルに神主がいたのです 「彼は私よりも10年早くはじめています 彼の神社は第2次世界大戦中、戦争に反対しました 当時の神社は政府に乗っ取られトップダウンになっていたので政府からの援助を打ち切られました 日本でかなり由緒ある神社であったにもかかわらず」
ウィルチコさんとオムスビーさんの神主への道は簡単なものではありませんでした 他の神主と同じ様に試験を受けないと
いけなかったのですから 日本史、文化と言語 現代文だけではなく古典も含まれていました 日本人にとっても難しい試験なのです
神主になりたい外国人が直面する困難は試験だけではありません もっと前古代日本の歴史や神話なども深く知らないといけないのです
日本ではいわゆる宗教というのは特別な印が必要ではないといわはしさんはいいます だからそれに惹かれる外国人がいるのでしょう
神道は組織だっていたり制度があったりする宗教と見られていません むしろ生活の一部なのです 神道は先祖をたくさんの神々とともにまつる事なのです デ=リーウさんは1981年日本オランダ親善協会を設立しました 彼は山陰神道学校で免状をうけました 1945年以降神社本庁に属していない1000ほどの神社があります コウイチ=バリッシュさんはワシントン州のグラナイトフォールにツバキグランド神社を作りました
日本の仏教は海外でもうまく広がりましたが神道は時間とともに衰えていくようです 元の土地から離れられないように
ドウギルは言います 神道は日本の土地に根があるのです 結局「神の国」なんですから
神道が海外に定着するとはおもえないよ だって地域的な信仰でたくさんの神々が土地と自然とともにあるものなんだから
この記事のタイミングがおもしろいね たったの1週間前にカソリックから離れて神道を勉強しようと思いはじめた所だったんだ
西洋の宗教と違って人を否定しないし商売でもないから キリスト教は崩壊して嫌いあい、不寛容と殺戮を促進させる 神道はその反対だ
この記事を読んだら神道に入信したくなったよ とってもいいタイミングだ
↑
僕もそうだ
神道を国際的40年間開拓しようとしてきた個人をほとんどみんな書いてあるから
「神道を国際化しよう」という事がついに神社本庁に取り入れられたけど「トランスナショナリゼーション」の方がいい考え方だと思う (磯前順一さんの造語) 日本史や文化、言語などの「オーソドックス」な事にどっぷり浸かる事が難しい外国人が救われる事になると思う
だいたいオーソドックスな事を教えるというのは間違ってる 1926年から1945年に教えられたオーソドックスな神道は日本人にとって苦境だった 「日本人が選民だ」って思うのとおなじくらいまちがってる
日本の神話が神に加えられたのは9世紀から 天照を天皇家の祖先だというもの以外の神話は消えてしまった 出雲の神は伊勢神宮との戦いに敗れ、今は伊勢神宮が勝ち残った これをテーマにした「日本の現代神道の起源」鍾 以江著がもうすぐ発行される いわゆる神道の頂点を伊勢神宮から出雲大社にかえるのはトランスナショナリゼーションの最初の一歩だ
次のステップは天照(伊勢)と大国主(出雲)の2つの頂点を認める事 大国主は「国の守り神」であって日本にだけいるわけではなくどこにでもいるんだ これ考え方が革命的だと思う人もいるだろうな
どの国にもそれぞれの神がいて同じ様に太陽に力をもらい僕の生活を35年も助けてくれているのは オランダの山蔭神道日輪親善神社だ 日本から来たものだけどいまはオランダの地に根をおろし花さかせている 神道は海外でも根付いているよ
日本にとってはいいニュースだね 日本の文化や社会的習慣に適合した外国人 西ヨーロッパの形とはちがって 僕らの政治家が選んだ道と同じ道を日本が選ばない事を祈ってる
「いわはし氏はだれが優位かという事については歴史を参照したらわかるといいます 8世紀に古事記と日本書紀が書かれた頃筆者は日本以外にも世界があることを知らなかったのではないでしょうか 多島は地球上にたくさんあるのに」
この前提には疑問があります 「古事記」も「日本書記」も大陸から伝来した漢字で書かれています これが出てくる何世紀もまえから日本は大陸と半島に接触していたわけですから
↑
ジャパンタイムスを守る事は出来ないけど仏教が日本に文字をもたらす前は古事記や日本書紀は口伝だったんだと思うんだ
現代人は人間の記憶では出来ないというけれどインドのリグベーダの様に特定の方法で保存されていたかもしれないしもっと違いバリエーションがあったのかもしれないけど、たくさんの専門家が新約聖書ゴスペルの方はものがあったのではないかと言っている 知る事はできないけど この口伝は守られていて ジャパンタイムスが「筆者は日本以外の国は知らなかったのではないか」と言ってる様に多島以外の事は書いてないんだ
日本人の自意識を歴史の解釈の中にいれてしまってないかい? 想像は歴史の事実にはならないけど理想を想像するのは行き過ぎだ 学校で教えられている事よりもマッチョだったらいいとおもってるんじゃない?
僕の犬の首輪に神道をつけてるよ
ちょっと行き過ぎてると思う
「しかしたくさんの人にとって、私が思うのに、うまくいかなかったと思います」といわはしさんはいいます「いまだに日本人は神道の神社と仏教のお寺の違いを言う事が出来ません」 ってどう?
↑
神道の神社=楽しい時に 鳥居があって 神道「宗教」?は日本発祥のもので 仏教は=悲しい時でお墓があって どうだろ
何が違うの?
すばらしい記事だ
いい引用だね 京都の龍谷大学のジョンドウギル教授(グリーン神道ブログの制作者)はこの信仰は排他的ではなく「特定主義」だという
http://www.japantimes.co.jp/community/2016/05/04/issues/foreign-priests-find-spiritual-home-shinto/#.VyyD8ISLTIU
https://www.facebook.com/thejapantimes/posts/10153518693128344
https://www.facebook.com/DrASK/posts/10156805206780109
https://www.facebook.com/DerpyLama/posts/1085698841473555

神道の神主として生きている外国人たちの神道に対する考え方や苦労が海外で話題になっていました
投稿者
外国人の神主が魂の家を神道に見いだしている
外国人ほとんどは神道を明治時代の国教としての神道のイメージをもっています
外国人神主のひとりパット=オムスビーは「神道は不等に第2次世界大戦の責めを負わされています」と言います
しかし戦後の神道は他の地域性や文化、信仰に対してとてもオープンです
青い目のオーストリア人フロリアン=ウェルチコを神主として認めるほどに
かれは2007年神社本庁に認められた最初の外国人神主なのです
どの神社の入り口にもたっている鳥居が神道の本質を表しているとウェルチコさんはいいます
「これは入り口ですが閉じる事ができないのです だれでも入ってくる事ができる
「メンバー」かどうかというのは関係ありません これは神社の入り口であり、だから違う世界なのです
人と神と」
彼はよそ者に見えますがいわはしさんは他の20,000人の他の神主と何の違いもないといいます
完全に日本的な世界ですが日本人ではないという事よりも日々の仕事に集中する事が大事だと言います
東京都渋谷区にある金王八幡宮で働いているのですがほとんどの日本人は彼の存在にも気づいていないでしょう
ウィルチコさんの前にも外国人神主はいましたが神社本庁に認められていませんでした オムスビーさんは
日本に1984年から住んでいてその1人です 最初は金刀比羅宮神社で訓練を受けたのです
日本で訓練されて日本で実際に働いているのはアメリカ人のコウイチ=バリッシュ、オランダ人ポール=デ=リーウ、
それにオーストラリア人のケイトゥリン=ストロネルです ですが彼らは神社本庁には認められていません
それでも日本中の神社で儀式を行う事が出来ますし海外に自分の神社を開く事だって出来るのです
これは神道が日本の国教だった明治のころには考えられない事でした
第2次世界大戦以前の日本で外国人が神主になる事は可能だったかと聞かれたオムスビーさんは「たぶん無理だったでしょう」
といいました「私は日本初ではありましたが当時シアトルに神主がいたのです 「彼は私よりも10年早くはじめています 彼の神社は第2次世界大戦中、戦争に反対しました 当時の神社は政府に乗っ取られトップダウンになっていたので政府からの援助を打ち切られました 日本でかなり由緒ある神社であったにもかかわらず」
ウィルチコさんとオムスビーさんの神主への道は簡単なものではありませんでした 他の神主と同じ様に試験を受けないと
いけなかったのですから 日本史、文化と言語 現代文だけではなく古典も含まれていました 日本人にとっても難しい試験なのです
神主になりたい外国人が直面する困難は試験だけではありません もっと前古代日本の歴史や神話なども深く知らないといけないのです
日本ではいわゆる宗教というのは特別な印が必要ではないといわはしさんはいいます だからそれに惹かれる外国人がいるのでしょう
神道は組織だっていたり制度があったりする宗教と見られていません むしろ生活の一部なのです 神道は先祖をたくさんの神々とともにまつる事なのです デ=リーウさんは1981年日本オランダ親善協会を設立しました 彼は山陰神道学校で免状をうけました 1945年以降神社本庁に属していない1000ほどの神社があります コウイチ=バリッシュさんはワシントン州のグラナイトフォールにツバキグランド神社を作りました
日本の仏教は海外でもうまく広がりましたが神道は時間とともに衰えていくようです 元の土地から離れられないように
ドウギルは言います 神道は日本の土地に根があるのです 結局「神の国」なんですから
神道が海外に定着するとはおもえないよ だって地域的な信仰でたくさんの神々が土地と自然とともにあるものなんだから
この記事のタイミングがおもしろいね たったの1週間前にカソリックから離れて神道を勉強しようと思いはじめた所だったんだ
西洋の宗教と違って人を否定しないし商売でもないから キリスト教は崩壊して嫌いあい、不寛容と殺戮を促進させる 神道はその反対だ
この記事を読んだら神道に入信したくなったよ とってもいいタイミングだ
↑
僕もそうだ
神道を国際的40年間開拓しようとしてきた個人をほとんどみんな書いてあるから
「神道を国際化しよう」という事がついに神社本庁に取り入れられたけど「トランスナショナリゼーション」の方がいい考え方だと思う (磯前順一さんの造語) 日本史や文化、言語などの「オーソドックス」な事にどっぷり浸かる事が難しい外国人が救われる事になると思う
だいたいオーソドックスな事を教えるというのは間違ってる 1926年から1945年に教えられたオーソドックスな神道は日本人にとって苦境だった 「日本人が選民だ」って思うのとおなじくらいまちがってる
日本の神話が神に加えられたのは9世紀から 天照を天皇家の祖先だというもの以外の神話は消えてしまった 出雲の神は伊勢神宮との戦いに敗れ、今は伊勢神宮が勝ち残った これをテーマにした「日本の現代神道の起源」鍾 以江著がもうすぐ発行される いわゆる神道の頂点を伊勢神宮から出雲大社にかえるのはトランスナショナリゼーションの最初の一歩だ
次のステップは天照(伊勢)と大国主(出雲)の2つの頂点を認める事 大国主は「国の守り神」であって日本にだけいるわけではなくどこにでもいるんだ これ考え方が革命的だと思う人もいるだろうな
どの国にもそれぞれの神がいて同じ様に太陽に力をもらい僕の生活を35年も助けてくれているのは オランダの山蔭神道日輪親善神社だ 日本から来たものだけどいまはオランダの地に根をおろし花さかせている 神道は海外でも根付いているよ
日本にとってはいいニュースだね 日本の文化や社会的習慣に適合した外国人 西ヨーロッパの形とはちがって 僕らの政治家が選んだ道と同じ道を日本が選ばない事を祈ってる
「いわはし氏はだれが優位かという事については歴史を参照したらわかるといいます 8世紀に古事記と日本書紀が書かれた頃筆者は日本以外にも世界があることを知らなかったのではないでしょうか 多島は地球上にたくさんあるのに」
この前提には疑問があります 「古事記」も「日本書記」も大陸から伝来した漢字で書かれています これが出てくる何世紀もまえから日本は大陸と半島に接触していたわけですから
↑
ジャパンタイムスを守る事は出来ないけど仏教が日本に文字をもたらす前は古事記や日本書紀は口伝だったんだと思うんだ
現代人は人間の記憶では出来ないというけれどインドのリグベーダの様に特定の方法で保存されていたかもしれないしもっと違いバリエーションがあったのかもしれないけど、たくさんの専門家が新約聖書ゴスペルの方はものがあったのではないかと言っている 知る事はできないけど この口伝は守られていて ジャパンタイムスが「筆者は日本以外の国は知らなかったのではないか」と言ってる様に多島以外の事は書いてないんだ
日本人の自意識を歴史の解釈の中にいれてしまってないかい? 想像は歴史の事実にはならないけど理想を想像するのは行き過ぎだ 学校で教えられている事よりもマッチョだったらいいとおもってるんじゃない?
僕の犬の首輪に神道をつけてるよ
ちょっと行き過ぎてると思う
「しかしたくさんの人にとって、私が思うのに、うまくいかなかったと思います」といわはしさんはいいます「いまだに日本人は神道の神社と仏教のお寺の違いを言う事が出来ません」 ってどう?
↑
神道の神社=楽しい時に 鳥居があって 神道「宗教」?は日本発祥のもので 仏教は=悲しい時でお墓があって どうだろ
何が違うの?
すばらしい記事だ
いい引用だね 京都の龍谷大学のジョンドウギル教授(グリーン神道ブログの制作者)はこの信仰は排他的ではなく「特定主義」だという
http://www.japantimes.co.jp/community/2016/05/04/issues/foreign-priests-find-spiritual-home-shinto/#.VyyD8ISLTIU
https://www.facebook.com/thejapantimes/posts/10153518693128344
https://www.facebook.com/DrASK/posts/10156805206780109
https://www.facebook.com/DerpyLama/posts/1085698841473555
寺で結婚式
神社で葬式
もできるしな