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中国南京事件の世界遺産登録に日本がユネスコ分担金拠出を拒否!海外からも応援の声(海外反応) - ­海外反応 キキミミ

­海外反応 キキミミ

 

中国南京事件の世界遺産登録に日本がユネスコ分担金拠出を拒否!海外からも応援の声(海外反応)

中国南京事件の世界遺産登録に日本がユネスコ分担金拠出を拒否!海外からも応援の声(海外反応)

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ユネスコ分担金、政府が拠出留保 「南京大虐殺」文書登録に抗議 慰安婦資料登録に牽制も

 岸田文雄外相は14日午前の記者会見で、日本が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に対する今年の分担金を支払っていないことを明らかにした。理由について「総合的な判断だ」と述べるにとどめた。しかし、中国が昨年、記憶遺産に申請した「南京大虐殺文書」が一方的に登録された件に抗議する狙いがあるとみられる。また、日中韓などの民間団体が申請中の慰安婦問題関連資料の登録を牽制(けんせい)したい考えもあるようだ。

 日本の今年のユネスコ分担金は約38億5千万円。例年、日本は当初予算成立後の4~5月に支払ってきており、10月まで留保するのは異例といえる。岸田氏は今後の方針に関し「総合的に判断していきたい」と語った。政府・与党内には「記憶遺産への登録手続きの透明性が確保されていない」との批判が根強く、ユネスコに対し制度改善を求めている。



ユネスコは最近、色んな国を怒らせてるな




支払わないても別に構わないよ




ユネスコがだんだん、政治的組織になってきてる どの国もユネスコのせいで不幸せになってる




日本にとってはその方がいいね




ユネスコはそれぞれの国を公平に扱うべきだよ 今こそ、日本は声を上げる時




日本は国連に資金を送るのをやめるべきだ 世界を改善するには良い一歩だよ




日本は残忍なことをしたのを認めたくないんだ だからユネスコからのゆすりに対する支払いをしたくない




日本は海外の言うことを気にする必要ない




国連のリストから遺産を除名する事はできるのかな?国連はいろんな国のやる気を失わさせるんだ 国連の仕事はお役所仕事のようだよ 予算を維持し、増やす為に仕事をしてるだけに思えるよ




僕は払わないっていう日本の案が好きだよ




ユネスコのトップ25に違う国の話が入るなんて珍しいよ




僕は日本が大好きだけど、愛国主義な点は好きではないな 日本は支払いを拒否しても何も得ないよ ただ頑固に見えるだけだよ 中国との問題を解決したいなら謝罪するべきだよ 謝罪はタダだしね




↑もし、日本が歴史上の出来事に関して、同意するのなら支払いをしなくては駄目だと思うよ




↑日本は拒否してる訳ではなく、国連の偏見や中国から送られてくる大量の否定的な証拠に反対しているんだ




↑日本人は南京事件の数が膨れ上がってると言ってる 中国人の殺害された数のソース元は信頼出来ないからね 未だに実際何人殺害されたかは分かってない




↑南京問題に関して、日本の政府は何らかの形で謝罪はしたのかな?




日本はユネスコに登録されてる建築物や場所だけに支払いをするべきだよ 日本の本当の姿のみを見せるべきだよ




国連のやり方見てたら別に驚くことじゃない




ユネスコの世界遺産登録に政治的なことを持ち込んだのはそもそも中国と韓国だよ
彼らがいなければ平和に遺産の素晴らしさだけで登録が決められたのに




https://www.reddit.com/r/worldnews/comments/57jzds/japan_halts_unesco_funding_following_nanjing/
https://www.facebook.com/
http://www.sankei.com/world/news/161014/wor1610140018-n1.html
Comments
 
最後のコメに大賛成
 
賛同してる人たちも半数は問題の本質を理解していないんだろうなぁ
 
>日本の政府は何らかの形で謝罪はしたのかな?
謝罪もしてるし賠償に至っては満州の莫大なインフラや現地の日本人の資産を放棄+ODAや無償技術供与と色々してるってのに
あいつらが、謝罪は不十分なので認めない、おかわり!って言い続けてるだけだ
 
これは政府GJだわ
最後のコメは分かってるけど、何も知らない馬鹿もコメントは出来るからね
世界に自分の無知を公開してて恥ずかしくないのかな?w
中国と韓国の言うことは全部ウソとの理解でまぁ間違いないよ
正否を考える手間を考えたらね
 
こいつは意外だ。
いつもなら日本が集中砲火を浴びる案件なのに。
 
まあ中国が騒ぎすぎたせいで
日本は全く認めないらしいぞ!→中国の主張する人数がめちゃくちゃらしい・・・
日本は謝ってないらしいぞ!→何度も謝ってるのに蒸し返してるらしい・・・
という反応に変わってきた
興味がない人間に延々と話題振ってたらこうなるわな
 
国家レベルの詐欺を認めるのは日本含め世界の為にも良くない
このまま通して欲しいね
 
>いつもなら日本が集中砲火を浴びる案件なのに。

ソース元のレディット見てみるといいよ。日本バッシングコメントはプラス、日本を擁護する意見にはマイナスばかり大量に付いてるから。こういう翻訳サイトはざ、いにちと批判されないように、ね、とうよに媚びるようになってるから騙されないように。
 
「謝罪謝罪」て煩い奴等がわいてるな
日本は「南京事件は無かった」て言ってないぞ
支那畜の馬鹿げた資料を一方的に信用して記憶遺産に登録したユネスコに抗議してるだけ
 
最後のコメはGJだが、支那の嘘を鵜呑みにしてる輩の方が多そう。
 
世界遺産なんかいらない。それ以前にユネスコなんかいらない。世界遺産なんて、公務員の仕事のための仕事作ってるだけじゃん。
 
事の発端は特アのおバ韓と狂賛中のアルカニダが原因おぶ。
 
政治を持ち込むなら、それはユネスコでない。
日本は特定の政治判断に金は出せない。
              以上
 
捏造を認めるユネスコとかいうクソ組織
30万も殺されたとか行ってるけど証拠すら出てないんだなー
 
最後のコメントが全て
 
日本もようやくまともな国になってきた
 
当時の南京の人口より遥かに多い30万人をどのようにして短い期間で虐殺したのか。

外国の奴らはこんなことも解らない無知で馬鹿なのか?
 
日本がシナチョンにした援助補償額は20世紀最高額レベルだぞ
しなくてもいいような無償提供まで大量にしたから頭1つ抜けてるレベル
ドイツがした補償額なんてたかが知れてるレベル程度といえるくらいだ
だから資源も技術もなにもなかった貧困国が発展したんだろうが
 
元々、国際連盟で新渡戸稲造が提唱してアインシュタインやキュリー夫人が、

「新渡戸が言うなら、協力しよう。」と賛同して設置された委員会を引き継いだのがユネスコなのに、あの国々は知らないんだろうなあ。

阿呆の国々も記憶遺産に申請しよう。
 
謝罪謝罪ってチャイナは謝罪したことアルのかよ?
現在進行形で侵略国家だろ?

チャイナは謝罪しろ!!
 
>僕は日本が大好きだけど、愛国主義な点は好きではないな 日本は支払いを拒否しても何も得ないよ ただ頑固に見えるだけだよ 中国との問題を解決したいなら謝罪するべきだよ 謝罪はタダだしね

あなたは「外国人にとって都合の良い愛国心のない日本」が大好きなんだろうけど
日本人は貴方のような「日本を奴隷のように扱かいたい外国人」にウンザリしてるの
bye-bye
 
ユネスコは、中国が出してきた根拠資料全部を世界に公表するのが先なんじゃないのか?
万里の長城を、只のコンクリートで固めた国の意見ばっかり鵜呑みにして、金クレ言うのはおかしいだろ!
 
岸田は駄目だな。もっとちゃんと反論しろ。
外務省を厳しく叱れ。
 
ユネスコは解散すべきだ。
 
謝罪?意味あるの?
謝罪を強請るなら、まず自分達が謝ってみれば?
自分の事を棚にあげて、他人にだけ頭を下げさせようとするばかりの態度は情けないね。
日本は終わった事で謝罪を望んでないし、捏造に対して謝罪する気もないよ。
どっちも無意味だって分かってるからね。
 
南京事件を放置してきた日本政府にも多少の責任はあるが。今からでも遅くない。既定の事実のようにみなされている南京事件は実は物証がほとんどなく、しかも状況証拠的にも事件そのものが日本の敗戦後に初めて持ち出されたこと、それ以前には事件の存在を疑わせる報道は一つも無かったこと、事件当時の南京市には第三国人もたくさんいたことなどを主張すべきだ。日本も日本人も大人しくほとんど抗議さえしないという前例はこの際改めるべし。怒るときは怒ることもまた誠実さだと思うぞ。
 
大多数の外国人はこの件の日本の主張を良く知らない。
海外の報道ではいつもこうだ。
ちゃんと広報しないと、かなりのマイナスだと思うよ。
 
反日教育の成果が上がって、
日本人=戦争での虐殺から目を逸らして反省しない邪悪な民族
との評価が固まりつつあるな。
 
おやおやコメ欄にまたシナ千ョンが湧いてるね
 
民進党政権だったらヤバかったな。
 
南京開場で数万人の便衣兵と交戦捕虜を処刑したのが真実。

南京事件場内には20万人の市民がいたが戦闘終了後、落ち着き取り戻すと25万人に増えていた。

20万人も虐殺されたら直ぐに25万人に住民が増えるはずが無い、当時の特派員も虐殺を報じていないのは何故か。
 
存外と日本に好意的な意見が多くて驚いた
もちろん外人全般の意見を反映してるわけじゃないのはわかってるけどさ

コメ抽出したネタ元って、英語話せる日本人が多いからってわけじゃないよな?
 
南京は捏造だからね
 
第四次史料、第五次史料を元に歴史の正誤を判断する学者先生様様方()に払う金はありません

ってこったろ。疑似科学の研究開発に費用出すのと変わらないもの。
 
最後が正しい
中国が侵略行為をしている状況での登録に政治的な意図は明らか
そもそも日本は中国、韓国に有識者と共同で共通の歴史検証をすることを何年も呼び掛けていて実際開かれたのに中国韓国が一方的に中断して今に至る、
それぞれ認識が違う、ましてや明確な証拠もない状況で登録なんて納得しろというほうがおかしい
米国は毎年滞納しているから日本もやって当然
 
中国の日本軍からの犠牲者の骨を出せよ
骨まで焼き尽くす火力なんか日本にはなかったんだ、遺骨が出てこないんだから信用できない
 
何度謝ればいいの?
 
カチンの森虐殺事件くらいの証拠出せよ。本当にあったならいくらでも出せるはず。
 
南京なんかせいぜい1000人位だろ
戦争じゃ普通のことだ
 
×世界記憶遺産
 ↓
○世界の記憶
 
世界の記憶

中国の妄想
 
戦略としてはどうなんだろう?
個人的にはこれらの話題に付き合うよりも現在進行形で行われている中韓の問題を騒ぎ立ててそちらに目を向けさせたほうが良いと思うが。何しろ今起きている問題なわけだから。特にチャイナは。
 
国連の分担金も支払い停止にした方がいいと思う。
 
ユネスコの原型を作ったのは新渡戸稲造らしい。
中国・韓国が関わると、すべてがダメになっていく見本だね。
 
もう解体で良いよ
機能してないだろ
 
日本はそもそも申請が多すぎるっぽいが
いい加減世界遺産フィーバーはやめてほしいトコだな、権威も何も有ったもんじゃないし
そのまま登録出来ないからやれ自然遺産だやれ文化遺産だとやってるけど、周囲には旨味なんか無い
アレほんとに儲かると思ってやってんのかね自治体は
 
その南京大虐殺とやらの前後で、南京の人口が増えているとか、中国の主張する被害者の数が年とともに膨れ上がり、今や核兵器でも使わないと実現できないような数になっていることや、中国が出してきている証拠とやらがことごとく捏造であることや、何十万人分もの遺体などの具体的な証拠が一切皆無であることなんかも公平に記憶遺産に含めるのが一番いい解決方法だと思うなw
 
なぜ外国人は本当に無知なのか?
中国側が出てる写真も全部嘘って証拠もあるのにさ
それに20万人以上亡くなってるって言うけど
なぜその遺体はどこにもない???
それにその頃中国兵はいっぱい何してた?
外人よもっと勉強しろ
 
ユネスコ必要?
 
※161924

違う。何もやり返さない日本のせい。
売春婦増の問題を見てみろ
何もしない事がこれだけの大ごとにしたんだ
結局世界から見れば「日本・日本人に何をしても国際問題にはならない」とお墨付きを与えたようなもんだ
 
脱退したらいい
日本の官僚の天下り先のために日本人がどれだけ損してるか
富士山が登録されて以降まったく信頼できなくなった
産業遺産とか意味不明すぎるの多いし
 
日本の謝罪は混乱と後悔しかもたらしていない
二度と謝罪すべきじゃないよ
 
馬鹿な鳩がノコノコとユネスコに行って
余計な事を言い出さなければ良いが・・・。
 
ユネスコが、もし中国の要請に応じて文化遺産登録するというならば、正確な歴史検証・事実検証を行うベキなのは必須だろ、逆にやって見ればいいんじゃないかw
 
>日本は残忍なことをしたのを認めたくないんだ

ほぉ、日本の陸軍って20万人しかいない所で30万人虐殺した上に、1週間後には20万人に人口を回復できるスーパーマンばかりだったのね。そりゃすげぇやwww
 
そもそも謝罪なんか必要ない
謝罪なんかしてる国なんて日本くらいだろ
それなのに他国にとやかく言われる謂れは無い
 
>日本は残忍なことをしたのを認めたくないんだ
だから、「した」という証拠を持って来いと言ってるんだよ
今までに「証拠」として提示されている写真ときたら、全く別の場面の報道や記録から都合の良い部分を切り取ってそれらしいキャプションを付けているものばかり
中には稚拙な合成写真すらある始末
どれも、元となっている写真が判明してるじゃないか
 

まず捏造ですから
 
いや南京地域の死傷者数はわかっているはずだよ
他の戦争と同じくらいの人数って
それを10-15倍位あったといわれても
 
南京ねつ造を取り下げない限り、ユネスコ分担金は、払う必要なしだ。
 
そもそも中立であるべき国連のボコバァが中国の戦勝記念式典に出席しているんだ。意図が見えているんだろう。賄賂を貰って記憶遺産か!いずれユネスコを潰した責任を取れよ。
 
南京の状況----一九三七年十一月二十七日
海軍無線 DJ EB
特殊グレイ文(暗号文)ならびに平文電報
発信:南京
受信:一九三七年十一月二十七日
ワシントン国務長官、漢口・北平米大統領、上海米総領事館宛
第九六三号 十一月二十七日午後二時
三、市民の脱出は続いているが、市長の話では三〇万から四〇万の市民がまだ南京に残っているとのこと。



アチソン



『南京事件資料集 アメリカ関係資料』 P90



南京アメリカ大使館通信----エスピー報告
報告書作成 一月一五--二十四日
郵 送   一九三八年二月二日



Ⅰ、十二月十日後の主な報告
 南京の陥落を前にして、中国軍と市民の脱出は引きも切らなかった。人口のおよそ五分の四が市を脱出し、主要な部隊は武器・装備もろとも撤退していった。・・・・・・



 南京の政治および経済状況
 南京には政治・経済の実体は存在していないといってもよいかと思う。事実、南京は日本軍の野営地にほかならない。市の人口、およそ一〇〇万人のうち、現在二〇万-二五万人が残留し、そのほとんどが貧民階級の人たちである。大多数が「安全区」内の建物や臨時に設けた野営地にすし詰めとなっている。夜間は夜露の凌げる場所にかたまり、日中は安全区内の通りに群れをなして溢れでてくる。例えば上海路などは、日中、一マイルにわたりぎっしり埋まる。人々は食べ物や燃料を求めて出てきたり、なにをするでもなくただ立ち尽くしている。・・・・・・

『南京事件資料集 アメリカ関係資料』 P239,247


イギリス領事の南京虐殺に関する報告
JS グレイ暗号電報
発信:上海、海軍無線局経由
受信:一九三八年二月三日午後八時三〇分



ワシントン国務長官宛



 中国人のうち、ほとんどが貧しい階級の人たちが安全区に集中している。人数は約二〇万人である。・・・・・・



 二五万人の中国民間人の難民の問題は、二月四日までに解消されなければならない。彼らのほとんどは行く所もないし、生活を維持する手段をもたない。日本軍当局の早急なやり方は、騒動とさらなる虐殺をひきおこすだろう。・・・・・・
ガウス

『南京事件資料集 アメリカ関係資料』 P313



『ニューヨーク・タイムズ』1937年12月7日
「敵の侵攻を遅らすべく中国軍抗戦中」
F・ティルマン・ダーディン
≪ニューヨーク・タイムズ≫特電
十二月七日、火曜日、南京発。



 湯山地区では少年雑役兵が数多くいた。少年たちは年齢一〇から一二歳、軍服姿の正規兵で、伝令、運搬、炊事といった仕事をしている。ときには最前線で戦争をゲームのように楽しんでいるように見える。
 南京東方の村落はどこも無人の巷と化していた。住民は守備隊に代わられ、公路上には難民があふれている。



『南京事件資料集1 アメリカ関係資料編』 P388



『ニューヨーク・タイムズ』1937年12月8日
「南京郊外で中国軍抗戦中、一週間は堅持するか」

F・ティルマン・ダーディン
≪ニューヨーク・タイムズ≫特電
十二月八日、水曜日、南京発。



 南京防衛軍の司令長官唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し、すべての非戦闘員は国際管理下の安全区に集結しなければならない、と布告した。市内他地区での非戦闘員の移動は、黄色の腕章に特別の印で示される特別許可所有者を除いて、禁じられる。
~略~
 中国軍による防衛戦内の障害物の焼却が続けられていた。中山陵園の中国高官の広壮な邸宅も昨夕燃やされたところに含まれる。
 南京は深い煙の層によって囲まれた。昨日、中国軍の半径一〇マイル以内の町の建物や障害物を焼き払い続けたからだ。
 本記者は車で前線に行く途中、中山門外、中山陵東南の谷全体が燃えているのを見た。中山陵南の主要公路上の孝陵衛の村は、一面煙る廃墟と化し、事前に避難しなかった住民は、その僅かばかりの哀れな持ち物を背に南京に向かって道にあふれ、ときおり立ち止まっては、もといた家のほうを悲しげに見やるのであった。
~略~
 南京には数万人の難民が雪崩れ込んでおり、安全区委員会は本日、正式に安全区の成立とその完全な非武装化を宣言する予定になっていた。
 本日、高射砲中隊一と多数の軍事機関が安全区から退去した。同地区非軍事化の約束を実行しようという、中国軍の意志をいっそうはっきりと示すものであろう。
 難民はとりわけアメリカとイタリアの大使館周辺地区に群がり、付近の道路は混雑していた。安全区委員会は食糧調達の方面で大きな成果をあげ、いまや二万五千人の貧民に一週間食べさせるのに十分な米を持っている。
 昨日、旗と印で地区の境界標示を取り付けることから、安全区はスタートした。司法行政部、陸軍大学その他の学校など公共の建物は貧民に開放されつつあり、必要とあれば無人の邸宅も接収されるであろう。



『南京事件資料集1 アメリカ関係資料編』 P390-391


『ニューヨーク・タイムズ』1937年12月9日
「日本軍の放つ火に囲まれ、山頂で中国兵三〇〇虐殺さる」

F・ティルマン・ダーディン
≪ニューヨーク・タイムズ≫特電
十二月九日、木曜日、南京発。



 南京での中国軍の防衛作業の特徴は、相変わらず建物の全面的焼却である。南門近くの人口密集地区全体から住民が追い立てられて、市の安全区に送り込まれ、この小都市一つくらいの規模の地区が燃やされていた。同様に、下関駅近くのモデル新村一つが焼却された。



『南京事件資料集1 アメリカ関係資料編』 P394






『ニューヨーク・タイムズ』1937年12月12日
「南京城の重防御に攻略軍阻まれる」



F・ティルマン・ダーディン
≪ニューヨーク・タイムズ≫特電。
十二月十二日、日曜日、南京発。



 広間と中庭が連なる迷宮「朝天宮」は、ほぼ十年にわたって兵工廠または軍の集結中枢の役を果たしてきており、最近は周囲の近代的兵舎とともに重要な駐屯軍の中枢、武器庫になっていた。寺院のある丘は市内でも最も人口稠密な地区の中心にあたるが、その一般住民の多くはまた安全区に避難していない。太平路が商業中心である。
~略~
 南京の住民は金曜日に比べて緊張も解けパニック状態もなくなっている。日本軍の城内進入撃退によって、中国軍が攻撃軍に十分持ちこたえているということを立証したからだ。現在の気持ちは一種の諦めであって、何千という人々がまだ安全区に避難しているが、彼等の恐怖心を表わさず、いかなる戦禍をも耐え忍ぶ用意があるかに見える。
 下関門(悒江門)は朝方再び明けられ、一日中、自由通行が許された。門は夕方早くにはまた閉じられた。



『南京事件資料集1 アメリカ関係資料編』 P401-402




 
シャルフェンベルク(ドイツ大使館南京分室事務局長)の記録 38年1月13日
【南京の状況 一九三八年一月一三日】
 当地南京では、電話、電報、郵便、バス、タクシー、力車、全て機能が停止している。水道は止まっており、電気は大使館の中だけ。しかも一階しか使えない。イギリス大使館にはまだ電気が通 じていない。
 なぜ交通が麻痺しているかといえば、城壁の外側は中国人に、市内はその大部分が日本軍によって、焼き払われてしまったからだ。そこはいま誰も住んでいない。およそ二十万人の難民はかつての住宅地である安全区に収容されている。家や庭の藁小屋に寄り集まって、人々はかつがつその日をおくっている。多い所には六百人もの難民が収容されており、彼らはここから出ていくことはできない。



『南京の真実』 P185

添付書類
駐華ドイツ大使館(漢口)一九三八年二月一日付報告第六七号に添付
作成者----シャルフェンベルク(駐華ドイツ大使館事務長、南京)
文書番号二七二二/一六一二/三七
一九三八年一月一三日の南京情勢



 南京では、電報、郵便、電話がいずれも不通で、バス、タクシー、人力車も走っていない。水道は止まっており、電気は大使館の建物に通じてはいるが、階上から光が漏れることは許されない。英国大使館にはまだ電気も通じていない。
 交通は途絶えている。なぜなら市の城外地区がすべて中国軍によって、また城内の大部分が日本軍の手で焼き払われてしまったためである。城内にはもはや誰一人住んでいないが、残りの約二〇万の市民は安全区(旧住宅街)に収容され、家や庭でその日暮らしの生活をしている。筵で覆われた大テントに、一張当たり六百人近くが暮らしており、安全区外に出ることも許されない。安全区は保証によって封鎖されている。



『資料 ドイツ外交官の見た南京事件』 P83

東京裁判 マギー証言(1)

○ブルックス弁護人 日本軍が十二月三十日に、南京に人った時の南京の人口は大体どの位でありましたか、二百万位でありましたか。
〔小野寺モニター 一寸訂正致します。十二月十三日に二十万位でありましたか〕
○マギー証人 それは一寸幾ら居ったかと云ふことは申上兼ねるのでありますが、我々の委員会の「メンバー」の委員の推定に依りますと、安全地帯には約二十万、或は三十万を超したかも知れませぬ。城外の安全地帯にはモットモット沢山居りましたが、何れにしても推定は不可能であります。



東京裁判 ウィルソン証言

日本軍の南京占領以前、南京の人口は百万ありました。併し占領後市民の大部分は市を去りまして、人口の総計は五十万以下となったのであります。
『日中戦争史資料8』 P21


金陵大学病院からの手紙
ロバート・O・ウィルソン医師

十二月九日 木曜日
国際委員会は、その五人のメンバーがこの家に留まっていて、素晴らしい事業をしているのだが、しかし、成果の程ははかばかしくない。日本軍は国際委員会を認めないときっぱり言っている。安全区の中の私たちの周囲にある、利用できるすべての建物に、約数十万人の人々が群がり住んでいる。彼らに何が起こるかは、ただ推量するほかはない。・・・・・・



十二月十四日
 南京に残留している一五万から二〇万人は、以前に難民区と私が書いた安全区に群がった。国際委員会は彼らに対して膨大な仕事をなしつつあり、今や彼らの努力によって、大勢の命を救っていることは疑いない。・・・・・・

『南京事件資料集 アメリカ関係資料』 P276-278

外交資料(私的報告)
一九三八年一月一三日付
作成者----クレーガー(南京)
文書番号なし
南京の運命の日々 一九三七年一二月一二日~一九三八年一月一三日



日本軍は難民区を承認しなかったが、戦闘中にはこれを尊重したからだ。難民区に加えられた砲撃はごくわずかで、戦闘の犠牲者も非常に少なかった。事実、南京に残った全住民、つまり約二〇万から二五万の人々が難民区に逃げ込んだ。大きな難民収容所に人々を受け入れるための十分な準備がなされた。二か月分の米が運び込まれ、潤沢な資金も自由に使用できた。

『資料 ドイツ外交官の見た南京事件』 P52


南京におけるキリスト教徒の活動に関する予備報告----一九三八年冬季
一九三八年二月十八日 ベイツ(もしくはベイツとミルズ)



 南京攻撃が予想された週に、南京住民の膨大な脱出があったにもかかわらず、二五万人が安全区に入り込み、数千人が同区外に留まってさらに悲惨なめにあうことになった。・・・・・・



 二五万人の人々の大部分は、密集した、異様な環境のなかで生活しています。なぜならば、安全区は市の城内区域のわずか八分の一ほどの面積しかないからです。これらの家族の多くはその一員を殺されて失っています。多くの場合、彼らの家に静かにしていた人々が、理由もなく殺害されたのです。・・・・・・


 いくつかのセンターの記録を参照にしてM・S・ベイツとW・P・ミルズが準備した。
一九三八年二月十八日

『南京事件資料集 アメリカ関係資料』 P182,183,185


アメリカのキリスト者へのベイツの回状
ロイド・トリエスティノ 聖「コンテ・ベルデ」(Lloyd Triestino SS."Conte Verde")
香港近くのマドラスへの道沿いにて
一九三八年十一月二十九日



 しかし、私は大部分の日々、複数の仕事をやっているので、救済以外の仕事もやりました。昨年の十二月、国際委員会は、二五万人の民衆に(相対的に高い安全性を備えた)避難所を提供し、うち七万人を二五の難民キャンプに収容いたしました。後者の難民の多くには食べ物を提供する必要がありました。それは、部分的に秩序が回復して難民の数が漸次減少したとはいえ、五月まで必要でした。これまでに中国通貨で三四万五〇〇〇元が主として食糧に出費されました(春までは一アメリカ・ドルが三・四〇元でしたが、現在は一ドルは六元以上)。・・・・・・

現在、南京の人口は事実上四〇万人におよんでいます(難民区の時期は二五万人、戦争直前には一〇〇万人いた)。最近の増加は、大きくは田舎からの難民によっています。彼らのある部分は、南京市からそこへ安全を求めて行ったのですが、今はゲリラとそれに対する報復襲撃で危険にさらされる後背地となり、そこで彼らは有り金全部(ときには衣服も)を使い果たしてしまったか、あるいは奪われてしまったのです。・・・・・・



『南京事件資料集 アメリカ関係資料』 P340-341

南京における救済問題に関するメモ
一九三八年二月二十二日

 しかしながら、南京の秩序は以前よりずっとよくなり、およそ五分の二の人たちが前の安全区外の自宅に戻りつつあり、市はやや平常の様相を呈しつつあると言うことができる。しかし、自分の家に帰りつつあるのは、ほとんどが老人と幼児だけだ。

(「ジョージ・フィッチの公演メモと思われる」編訳者注)

『南京事件資料集 アメリカ関係資料』 P189

ヒトラーへの上申書(公演の草稿)(ラーベ)

 私が七月に発ったときには、南京の人口はおよそ百三十五万人でした。その後、八月なかばの爆撃の後に、何十万もの市民が避難しました。けれども各国の大使館員やドイツ人軍事顧問はまだ全員残っていました。

『南京の真実』 P296
ヒトラーへの上申書(公演の草稿)(ラーベ)

このように、安全区は何日にもわたってすこしずつふさがっていったのですが、それでも、一家そろって野宿しなければならなかった難民が後を絶ちませんでした。おいそれとはてごろな宿が見つからなかったのです。私たちはすべての通りに難民誘導係員をおきました。ついに安全区がいっぱいになったとき、私たちはなんと二十五万人の難民という「人間の蜂の巣」に住むことになりました。最悪の場合として想定した数より、さらに五万人も多かったのです。なかでも一番貧しい人たち、食べる物さえない六万五千人を、二十五の収容所に収容しましたが、この人たちには、一日米千六百袋、つまり生米で一人カップ一杯しか与えてやれませんでした。
 


第十九号文書(Z 35)




南京安全区国際委員会
寧海路五号
一九三八年一月十四日
 



南京日本帝国大使館 福田篤泰殿 



(略)



 私たちは、貴下や自治委員会と喜んで協力し、現在、経済的に生計を立てる基盤のない難民を保護するものです。その証拠には、一月十日に自治委員会のもとめに応じて当方は米販売店を閉店したし、同日、自治委員会に割当てられた米を運ぷ手伝いもしました。ところが、この米から、当方の無料食堂用と収容所用は、ただの一袋も受取りませんでした。



 貴下が登記した市民は一六万人と思いますが、それには十歳以下の子供は含まれていないし、いくつかの地区では、年とった婦人も含まれていません。ですから、当市の総人口は多分二五万から三〇万だと思います。



 これだけの人口を普通並みの米の量で養うとすれば、一日に二〇〇〇担の米(あるいは一日に一六〇〇袋)が必要となるでしょう。このことから、貴下が提案した三日ごとに一〇〇〇袋というのは、必要な量の三分の一にも足らないことが明らかです。今までは住民は各自手持ちの貯蔵米にかなり大幅に依存してきましたが、それも急速に使い果たされており、米を購入したいという要求が、一月一日以来、急に高まってきました。住民が毎日少くとも一〇〇〇袋の米を購入できるように即刻取計らうべきです。そして、できるだけ早く一日につき一六〇〇袋に増量すべきです。



 米の外に、多量の小麦粉と、一、二カ月の配給分として石炭二〇〇〇トン、およびその他の燃料も購入できるようにしなければなりません。この寒空に難民がひどい苦しみをなめないようにするには、行届いた、効果的な計画が必要です。



 ですから、事態は実際にはどうなのか、そして、すでに結んだ協定がなぜ取り消されたのかをおたずねするために、手紙を書いているのです。



 難民は食べなければ生きていけませんし、米を奪われ、米を料理するのに使う燃料を奪われたならば、実際ひどい状態に陥るでしょう。貴下が直ちに軍当局に話して、この件を正して頂き、米と燃料を常時、安心して難民に供給していけるようにして下さるよう、お願いいたします。米や燃料が、当委員会をつうじて手に入ろうが、自治委員会をつうじて手に入ろうが、当方にとってそんなことは大した違いはありません。当委員会の希望することは、これらの生活必需品が市民に充分供給されることです。これはできる限り商業ベースで処理するのがよいでしょう。



 最後に一言。当委員会の仕事の改善について御提案があれば喜んでうかがいたく思います。



 日頃の御援助に感謝致します。



南京安全区国際委員会委員長
(署名)  委員長 ジョン・H・D・ラーベ



(『南京大残虐事件資料集 第2巻 英文資料編』P143~P144)






 



ジョン・ラーベ「南京の真実」




一月十七日



 ローゼンと話し合いをしたとき、すでに岡崎総領事は先日のいさかいの調停に乗り出していた。ベルリンや東京が何もいってこなければ、一件落着となる。そうなれば大変ありがたい。とにかく日本人と折り合っていかなければならないのだから。



 昨日の午後、ローゼンといっしょにかなり長い間市内をまわった。すっかり気が滅入ってしまった。日本軍はなんというひどい破壊のしかたをしたのだろう。あまりのことに言葉もない。近いうちにこの街が息を吹き返す見込みはあるまい。かつての目抜き通 り、イルミネーションなら上海の南京路に引けをとらないと、南京っ子の自慢の種だった太平路は、あとかたもなく壊され、焼き払われてしまった。無傷の家など一軒もない。行けども行けども廃墟が広がるだけ。大きな市が立ち、茶店が建ち並んでいた繁華街夫子廟もめちゃめちゃで見るかげもない。瓦礫、また瓦礫だ!いったいだれが元通 りにするというんだ!



 帰り道、国立劇場と市場の焼け跡によってみた。ここもなにもかもすっかり焼け落ちていた。南京の三分の一が焼き払われたと書いたが、あれはひどい思い違いだったのではないだろうか。まだ十分調べていない東部も同じような状態だとすると、三分の一どころか半分が廃墟と化したといってよいだろう。



 日本軍は安全区から出るようにとくりかえしていっているが、私は逆にどんどん人が増えているような気がする。上海路の混雑ときたら、まさに殺人的だ。いまは道の両側にそこそこしっかりした作りの屋台ができているのでなおさらだ。そこではありとあらゆる食料品や衣料品が並べられ、なかには盗まれた故宮宝物まで混じっている。難民の数は今や二十五万人と見積もられている。増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。かれらは、どこに行ったらいいのかわからない。



(P215~P216)
 





第二十六号文書



南京安全区国際委員会
寧海路五号
一九三八年一月二十八日



南京イギリス大使館 H・プリドー=ブリュン殿
(略)
 南京の二五万難民のうちほとんどが、南京市内と近郊で起きた広域にわたる放火のために家を失いました。そして一家の働き手が連行されたり殺されたりして、赤貧に陥っている家族が幾千と言わないまでも、幾百とあります。
(略)
 当委員会が救援のためにもっている資金は当然のことながら非常に不十分であります。南京市内に当方の手持ち分として一〇万ドルあり、さらに上海に五万七〇〇〇ドルあります。しかし、この一五万七〇〇〇ドルという金額をもってしても、現在市内にいる二五万人の難民を救うのには焼け石に水であります。
(略)
委員長 ジョン・H・D・ラーベ



『日中戦争史資料9』 P149






南京日本大使館宛書簡----十二月十六日



金陵大学、南京
一九三七年十二月十六日



 昨晩、本学の農業経済系の建物(小桃園)に何度も多人数で侵入した兵士によって三〇人の婦人が強姦された。私たちは、貴軍が軍事的優越性を示したからには道徳的にも優越性を示すだろうと信ずるものです。これら何万という平和的市民の生命および身体の安全が早急に必要となっているのです。





書簡
南京日本大使館福田篤泰宛、発信者ラーベ
(南京安全区国際委員会委員長、寧海路五番地、南京)
一九三八年一月一四日付
文書番号二七二二
<同一資料>



 私たちは、貴方が一六万人の住民を、一〇歳以下の子どもと、いくつかの地区では年配の女性を含めずに登録したことを承知しています。したがって、市内にはおそらく二五万から三〇万人の市民がいるでしょう。この人口を通常の米の量で養うためには、一日二〇〇〇担〔約一〇〇トン〕の米(一日一六〇〇袋の米)が必要になります。三日に一〇〇〇袋というご提案は、本来必要な米の量の三分の一にも満たないことが明らかです。



『資料 ドイツ外交官の見た南京事件』 P100




 

スマイス報告 農業調査



南京地区における戦争被害  1937年12月―1938年3月 都市および農村調査
二、農業調査



 農業調査では、南京周辺に集合して一つの自然的・伝統的単位をなしている六つの県を網羅しようとした。二つの県すなわち江浦県と六合県は揚子江の北側にあり、その南側には江寧県(南京はその中に位置している)・句容県・溧水県・高淳県がある。附録で調査の組織とその方法にかんして説明しておいた事情のために、三月中に高淳県と六合県の半分は調査することができなかった。



 この調査に含まれている四・五県にはそのとき、最高一〇八万人の農民がいたが、戦前にはおそらく一二〇万から一三五万はいたであろう。このなかには市場町もいくつか入っているが、それ以前の人口はおよそ二七万五〇〇〇人であった(1)。



 以前には南京市は一〇〇万の人口を擁していたが、三月にはおよそ二五万にまで減少していた。このように四・五県の全人口は三月現在ほぼ一五〇万であった(しかし、市場町の住民はこの調査の範囲外である)。




南京市の常態としての人口と陥落前の人口には大きな違いがあるようである。常態100万人については肯定派、否定派とも見解が相違している訳ではない。「1927年に国民政府が南京を首都に定めて以降、南京市政府は、市内の常住人口について、ほぼ完全な統計資料をずっと保存している。1935年ではじめて百万人の大台を突破し、1937年の前半に至るまで、南京市の常住人口はずっと百万人以上を保ち続けてきた」。



 南京特務機関「南京市政概況」というのがあるようであり、これに南京城区の人口・戸数の変化が次のように記されている。南京攻略戦前後で南京城区の人口・戸数が大きく変化していることが判明する。但し、この減少は、移動と虐殺との両面から考察される必要がある。



1937年3月 101万9667人 20万810戸 (首都警察庁調べ)
1937年12月 南京攻略戦
1938年2月末 20万人 (難民区人口を南京市自治委員会と特務機関が推定)
1938年10月末 32万9488人 8万2195戸 (南京市自治委員会調べ)
1939年10月末 55万2228人 13万2403戸 (南京特別市政府調べ)
1941年3月末 61万9406人 14万439戸 (南京市政府調べ)









 「文藝春秋 第十六巻 第十九號」〈1938年(昭和十三年)11月特別號〉の「従軍通信 上海より廬州まで 瀧井孝作 P193」に、次のような貴重な記述がある。「九月二十三日。晴。南京にて。午前九時、特務機関に行く。大西大佐より南京施政状況の説明あり。人口は戦前は百萬そのうち二十五萬漢口に行き、二十五萬は上海に在り、五萬は香港に行き、現在は四五十萬どまりなり」(渡辺さんより提供)。

 つまり、「八・一三」事変(第二次上海事変)以後、日本軍は絶えず飛行機を飛ばして南京を爆撃し、約20万人の比較的裕福な南京の商人や市民が戦火を逃れて南京市の外に避難して逃げた。10月に国民政府が重慶に遷都を決定するや、次々と政府機関員たちは疎開した。11月20日、国民政府は遷都の声明を発表した。見積もりによると、この政府の西への移転につき従った軍民は約20万人である。また、この他に南京で仕事をしていた出稼ぎの人たちがおり、戦乱を避けるために出身地に帰った人たちが約数万人いた。南京市の人口は激減したが、しかし多くの人たちは生活に追われ南京を離れることができなかった。

 この点について、日本の上海駐在の岡本領事が1937.10.27日に広田外相に宛てた秘密の手紙の中で次のように書いている。「南京市内の公務員と軍人の家族はすでにみな避難し、人口は激減している。警察庁の調査によると、現在の人口は53万人余りであり、それらはすべて、各機関の公務員、財産を移転することができないものや現地の商売人等、とことんまで南京に居続けなければならない人たちである」。

 以上の資料と、南京市政府が1937.11.23日、国民政府の業務部に宛てた公文書で「本市の現在の人口を調べたところ約50余万人」であるとしていることを踏まえれば、12.13日の南京の陥落に至るまでずっと、南京在住の戸籍上の人口は依然として50余万人であったということになる。

>>>>ということで南京大虐殺の当日付近の人口は50余万人。難民特区の20万人を引いても30万人虐殺は可能。俺は約20万人は虐殺したと思っている。

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