- Date: Sun 27 11 2016
- Category: 出来事・話題
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海外「とても悲しい」日本の暗い時代の象徴?『姥捨山』が海外で話題に(海外反応)
海外「とても悲しい」日本の暗い時代の象徴?『姥捨山』が海外で話題に(海外反応)

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姥捨山は日本の暗い時代の象徴の一つだが、そのようなことは現実に行われていたのだろうか?
現在の私たちの常識で判断した時、物議をかもしたり、暗い時代に見えるだけよ その代わり、今の私たちは普通にお年寄りを基準も満たしていないような非衛生的な老人ホームに入れて、チューブにつないで、そして何年もの間、ひとりきりにして放っておいているじゃない それは常識的な措置と判断されているのよね 私は森に連れて行かれる方がいいわ
私は子供たちの迷惑になるようになった時こうするつもりよ 人々は天国が私たちを待っていてくれるっていうことを忘れてしまったかのように生き延びようとする 考えてみるとおかしなことよね
知らない部屋に入れられて一人っきりで死ぬよりも、美しい大自然の砂漠に迷い込む方がよっぽどいいよ
それって古代ローマの赤ちゃんの扱いに似ているよね 彼らは赤ちゃんを外に放置して、養子に連れて行かれるか、それともそのまま死んでしまうかを運に任せていたんだよ 古代ローマの戦士が妻に宛てた手紙が見つかったんだけど、そこにはもし生まれた子供が男の子なら外に放置するように書かれていたんだよ これは現実に行われていたと信じられているよ
ヨーロッパでも、アルプスや他の山岳地帯などでよくあったことだよ 一晩だけで解決したんだ 他の地域では弱いお年寄りは窒息死させられていたんだよ
誰が生き延びるべきかの選択は、若者のためなんだよ 今でも一番大切なことは最も生産性のある者が生き延びるってことなんだ 保険もそうなっているよね
僕の日本人の義理の母親から学んだんだけど、名誉と義務は日本の文化に根付いているんだ 若者の生存のために自己を犠牲にするこういった利他的行動は普通なんだよ
実際にあったなら、とても悲しいわ 日本や中国ではお年寄りと一緒に住むってよく言われているじゃない・・・ 日本でも中国でも老人ホームはたくさんないし 興味深い記事だったわ
ヘンゼルとグレーテルのようなおとぎ話とあまり変わらないじゃない 飢餓の時代にはヨーロッパでも実際にあった話よ
これはもっと深く追求するべきトピックだね エスキモーやアメリカインディアン、その他にも幾つかの文化で同じようなことが行われているんだよ インドにはサニャスのチャトゥラシュラムのシステムがあるよ
これは悲しいけど、家族が苦しむのなら、僕はそうしてほしいな 人道的じゃないっていう人も多いけど、病院で一人きりで死ぬよりも美しい森の中の方がずっといいよ
グリーンランドでも似たようなことをするよ 村全体が一緒になって、高い海際の崖、そして老婆たち 男たちは邪魔になるまで生き延びることはないのかな?
「崩れゆく絆」という小説の中で書かれているけど、ナイジェリアでも前に同じようなことが行われていたみたい この小説はナイジェリアの一つの村について書かれているんだけど、現実みたいよ
なぜ大人は老人を殺さないの? 放置して餓死させたり凍死させるのって、不必要に残酷じゃないかしら
↑血縁者を殺すことはほとんどの文化でタブーなのよ いつだったか、なぜ私の村でそれがタブーなのかを聞いたことがあったわ 確か、親を殺すということは、彼らの年を経ての「良い死」のチャンスを奪ってしまうことだって
↑君が年老いた両親を森に放置するということは、彼らを殺すということだよ ただ血だらけにならなくて済むというだけ どちらの方法でも殺人だということは変わらないよ もし殺さなければいけない時が来たら責任を持って、苦しみがないように愛をもってしなくちゃ 歩き去ることは同じぐらい罪深いことだよ
老人を放置することは、資源の乏しい場所や遊牧的な文化では普通に行われていたよ
この行為が非難されないっていうことは、世の中が悪い方向に向かっているっていうことだね
凍死は自分で選んだのであればそこまで苦しくないよ
イヌイットのお話で老人を流氷に乗せて流すってあったけど、あれって現実の話なの?
https://www.facebook.com/smithsonianmagazine/posts/10154229236968253?match=amFwYW7igJlzLGphcGFuZXNl

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姥捨山は日本の暗い時代の象徴の一つだが、そのようなことは現実に行われていたのだろうか?
姥捨山伝説
歩けない老人を奥山に捨てる慣習に種々の事件が伴う伝説。その代表的なものが信州(長野県)更級(さらしな)の姨捨山(おばすてやま)にまつわる伝説である。
伝説の型は二つある。その一は、昔、国王から老人は不要だから捨てよとの命で、ある孝行者は、この法令が守れず家の中にそっと隠しておいて、のちに他国からの難題を、隠しておいた老人の知恵で解き、褒美をもらった、という型。その難題には、蟻(あり)通し、木の本末の別、馬の親子や蛇の雌雄の識別、灰の縄、打たぬに鳴る太鼓など種々あり、昔話の「灰縄千束」「打たぬ太鼓に鳴る太鼓」などに変化したものもある。『俊秘抄(しゅんひしょう)』上や『袋草子』4に伝わる蟻通(ありどおし)明神の話や、謡曲『蟻通』にもなっている。難題型の棄老説話は『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』巻1「棄老因縁」に基づくもので、『今昔物語集』巻5の32、『打聞集(うちぎきしゅう)』第7、『雑談集』巻4などに載せられる。
現在の私たちの常識で判断した時、物議をかもしたり、暗い時代に見えるだけよ その代わり、今の私たちは普通にお年寄りを基準も満たしていないような非衛生的な老人ホームに入れて、チューブにつないで、そして何年もの間、ひとりきりにして放っておいているじゃない それは常識的な措置と判断されているのよね 私は森に連れて行かれる方がいいわ
私は子供たちの迷惑になるようになった時こうするつもりよ 人々は天国が私たちを待っていてくれるっていうことを忘れてしまったかのように生き延びようとする 考えてみるとおかしなことよね
知らない部屋に入れられて一人っきりで死ぬよりも、美しい大自然の砂漠に迷い込む方がよっぽどいいよ
それって古代ローマの赤ちゃんの扱いに似ているよね 彼らは赤ちゃんを外に放置して、養子に連れて行かれるか、それともそのまま死んでしまうかを運に任せていたんだよ 古代ローマの戦士が妻に宛てた手紙が見つかったんだけど、そこにはもし生まれた子供が男の子なら外に放置するように書かれていたんだよ これは現実に行われていたと信じられているよ
ヨーロッパでも、アルプスや他の山岳地帯などでよくあったことだよ 一晩だけで解決したんだ 他の地域では弱いお年寄りは窒息死させられていたんだよ
誰が生き延びるべきかの選択は、若者のためなんだよ 今でも一番大切なことは最も生産性のある者が生き延びるってことなんだ 保険もそうなっているよね
僕の日本人の義理の母親から学んだんだけど、名誉と義務は日本の文化に根付いているんだ 若者の生存のために自己を犠牲にするこういった利他的行動は普通なんだよ
実際にあったなら、とても悲しいわ 日本や中国ではお年寄りと一緒に住むってよく言われているじゃない・・・ 日本でも中国でも老人ホームはたくさんないし 興味深い記事だったわ
ヘンゼルとグレーテルのようなおとぎ話とあまり変わらないじゃない 飢餓の時代にはヨーロッパでも実際にあった話よ
これはもっと深く追求するべきトピックだね エスキモーやアメリカインディアン、その他にも幾つかの文化で同じようなことが行われているんだよ インドにはサニャスのチャトゥラシュラムのシステムがあるよ
これは悲しいけど、家族が苦しむのなら、僕はそうしてほしいな 人道的じゃないっていう人も多いけど、病院で一人きりで死ぬよりも美しい森の中の方がずっといいよ
グリーンランドでも似たようなことをするよ 村全体が一緒になって、高い海際の崖、そして老婆たち 男たちは邪魔になるまで生き延びることはないのかな?
「崩れゆく絆」という小説の中で書かれているけど、ナイジェリアでも前に同じようなことが行われていたみたい この小説はナイジェリアの一つの村について書かれているんだけど、現実みたいよ
なぜ大人は老人を殺さないの? 放置して餓死させたり凍死させるのって、不必要に残酷じゃないかしら
↑血縁者を殺すことはほとんどの文化でタブーなのよ いつだったか、なぜ私の村でそれがタブーなのかを聞いたことがあったわ 確か、親を殺すということは、彼らの年を経ての「良い死」のチャンスを奪ってしまうことだって
↑君が年老いた両親を森に放置するということは、彼らを殺すということだよ ただ血だらけにならなくて済むというだけ どちらの方法でも殺人だということは変わらないよ もし殺さなければいけない時が来たら責任を持って、苦しみがないように愛をもってしなくちゃ 歩き去ることは同じぐらい罪深いことだよ
老人を放置することは、資源の乏しい場所や遊牧的な文化では普通に行われていたよ
この行為が非難されないっていうことは、世の中が悪い方向に向かっているっていうことだね
凍死は自分で選んだのであればそこまで苦しくないよ
イヌイットのお話で老人を流氷に乗せて流すってあったけど、あれって現実の話なの?
https://www.facebook.com/smithsonianmagazine/posts/10154229236968253?match=amFwYW7igJlzLGphcGFuZXNl