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2017-06-25 (Sun)
海外「これがカミカゼの語源だったのか…」モンゴルの侵略から日本を救った二度の神風に海外興味津々(海外反応)

投稿者
歴史の大変動-日本を救った神風
誰にも止められない勢いでいたモンゴルは、日本を標的にしました
しかし、神風によって侍たちは守られたのです



激動の時、日本を救った神風
13世紀のモンゴル侵略は止まらないかのような勢いでした
当時最強と言われた軍隊ですら太刀打ちできませんでした
ヨーロッパや中央アジアや東アジアは死体で溢れかえっていました
そして、日本はその次と思われていました

当時の日本は鎌倉時代でした
侍が統治し、封建制度が確立していました
神山天皇は外交にはあまり興味を示していませんでした
しかし、1268年にモンゴル派遣団が渡来し、日本は小さな国であるため大国の一部となるべきだ、という文書が送られました

文書の最後には、“よく考えてください”と添えられていました
天皇へのアドバイスとして贈られたのは、“藁は風に吹かれても倒れず、強くしなやか”だという言葉です
しかし、北条時宗氏は天皇にこの挑戦に対抗すべきだとアドバイスしました
モンゴルの派遣団は免職され、それ以降のモンゴル派遣団は入国が禁止されたのです
そのころカブライ・ハンは巨大艦艇を作るために朝鮮半島を侵略し、1274年の秋ごろまでには多数の水兵や軍隊を派遣していました

準備は整い、日本に戦争が訪れました
モンゴルによる最初の侵略です
最初の侵略は10月に韓国の東南側の海からやってきました
軍の大きさは諸説あり、2万3千人から4万人の軍隊と、700隻から900隻の艦艇だったと言われています
最初の艦隊は津島に上陸した

政治家たちや騎兵隊は集まり耐え忍びましたが、結局抵抗は虚しく守備隊は破られ次の島に乗り込まれました
城に避難し耐え忍びましたが、モンゴル団の強さはすごいもので、すぐに打ち破られてしまいました
決定的な侵攻は11月の九州上陸時に起こりました
この時には既に日本の将軍にも侵略が伝えられており、応戦体制が整っていました
防衛は筑前海岸沿いの3~5mの高さの岩場を中心に配置され、侵略者たちを待ちかまえました
そしておよそ1万人の侍たちが待ち構えていました
博多湾での戦は何日にもおよび、接戦となりました
海岸での戦いは接戦で、モンゴル団の侵略は難航しました

4日目になりモンゴル団は一旦引き上げることにし、力を温存している兵士たちと交代することにしました
ここで日本の軍隊は地上ではなく、海上で戦うという手段に出たのです
しかし、彼らの船は小さく、1隻には12人しか乗れないようなものでした
モンゴル団への攻撃は確かにありましたが、致命的な決定打は打てずにいました
しかし、天は日本軍の見方をしたのです
海は荒れ、大きなモンゴル団の艦艇は雷に打たれたのでした
真っ暗闇の中、酷い嵐の末何百もの艦艇は修理が必要であったり、完全に大破したりしてしまいました
そして、1万5千人もの兵士たちは波にのまれてしまったのです
モンゴル団は朝鮮半島に戻ったのです

この一度目の日本侵略が失敗に終わった後、二度目の侵略が行われました
物質的な打撃はすぐに回復できましたが、精神的なダメージはとても大きかったと言われています
モンゴル帝国のカブライ・ハンの力を脅かすものとして、すぐさま汚名返上しなければならなかったのです
7年後、侵略が実行されました

この時モンゴルはさらに侵略を進め、土地を拡大していたのです
また、日本侵略の為の部隊も結成されていました
そのころ、日本はモンゴルの侵略を予想し、対応に追われていました
モンゴル団に見捨てられた元派遣団員たちはスパイとして捕えられ、情報に基づいた防衛線が敷かれたのです
1281年に幕があがりました
2隻の巨大艦艇が日本に向けて、1つは4万人の兵士と900隻の船を連ね韓国を出港し、もう一つは10万人の兵士と3,500隻もの船が中国を出港しました
しかし、規模が大きすぎたため、統制が難しい状況でした
北の艦艇が先に到着し、九州沿岸での攻撃を開始しました
日本軍は海でも迎え撃ちましたが、多くは海岸沿いに並び迎え撃ちました
そして、二度目の博多湾での戦いが始まりました

戦は何日にも及びましたが、またしても日本軍の防衛に苦戦していました
南の艦艇が到着し、応援によってバランスが取れた形でした
日本の防衛も厳し状況に追い込まれ始めていました
しかし、またしても天が日本に味方したのです
日本沿岸に大型台風が襲撃したのです
この台風は両軍にとって厳しいものでした
自然の力にはかなわず、巨大なモンゴル艦艇は大きな打撃を受けたのです
モンゴル団の船はこのような天候に対応しておらず、危機的なダメージを受けていました
船は岩や岸に打ち付けられ、記録では4000隻もの船と7万人もの兵士が行方不明になったと言われています
かろうじて海を渡って戻ったものもいたようです
侵略から守られたのです

三度目の侵略も計画されていましたが、実行されることはありませんでした
多くの国が侵略の標的になる中、日本だけは保留にされていたのです
日本はモンゴル団の影響を大きく受けました
刀なども改良されました
この侵略からの勝利は日本軍に自信とプライドをもたらしました
しかし、この二度の危機から救った天才は“神風”と呼ばれ、当時の天皇がもたらしたものとしてあがめられたのです

第二次世界大戦中、再度神風は舞い降りたのです
第二次世界大戦中の神風は、神風特攻隊と呼ばれ敵軍に空から突っ込んで行ったのです




僕は日本人だけど、最近まで北条時宗については短くて愚かな人生のことについてしか知らなかったよ




良い動画だった、これからも頑張って!




↑投稿者
これを楽しんで観てくれている人がいて嬉しいよ!




↑とても良い構成だった!
マルコポーロのシリーズも楽しんで観ているよ!




こういう動画を観ていると、自分の知識の無さにがっかりするんだ
これからも宜しくお願いします




↑投稿者
僕にとって最高のコメントだよ
こうやって歴史を知っていくのは最高だよ




誰も日本を侵略できない、モンゴルを除いては…あれ?




↑投稿者
モンゴルも例外ではなかったようだね…なんてこった




↑アメリカだろ?




東の国の歴史は学んでも学びきれないね
素晴らしい動画をこれからもお願いします!




↑投稿者
間違いないね
正しいものを提供できるように頑張るよ




ロシアには冬があり、日本には台風がある




↑ロシアは負けちゃったけどね




素晴らしい映画ができそうだね
映画の始まりは、一度目の侵略でモンゴル団が台風で沈没し、二度目の侵略が始まりまた台風にやられる、っているね




↑いいアイディアだね!
二回も自然現象に守られる日本にうんざりしそうだけどね!(笑)




日本は台風が来てラッキーだったね
もしモンゴルが日本に上陸していたら日本は侵略されていただろうね




今、神風の語源を知った




https://www.youtube.com/watch?v=a0WDERAXcC8





 
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