- Date: Thu 08 03 2018
- Category: 歴史
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海外「近代化の賜物…」なぜ日露戦争でロシアは負けたのか?様々な考察に海外興味津々(海外反応)
海外「近代化の賜物…」なぜ日露戦争でロシアは負けたのか?様々な考察に海外興味津々(海外反応)
投稿者
どのようにロシアは日露戦争で負けたのか?/アニメで歴史
日露戦争はアジアの国がヨーロッパに対抗する力を見せつけました
近代の戦争として、ロシアが負けるとは言いがたいです
でも国内でも崩壊があったのです
日本は世界的に力を示したのです
今回は政治的に外交的な面で、日露戦争を話す訳ではありません
なぜ起きたのか、そしてなぜロシアが負けたのかを話していきます
2人の海軍の軍人が配属されました
一人はヴィリゲリム・ヴィトゲフト准将です
もう一人はジノビ・ローズチェンスキー副准将です
准将は1等巡洋艦隊を率いていました
しかし決断力が乏しく、決断する前に終わりを迎えました
世界を変える前に黄海の戦争で亡くなりました
これで、ロシア海軍を率いるのは一人になりました
2等巡洋艦隊を率いるジノビ・ローズチェンスキーです
非常に気が短く、マッドドッグとのあだ名もついていました
イギリスと手を組んでいると思ったイギリス艦隊を攻撃したくらいです
イギリスとの開戦があるところでした
二人の司令もいましたアレクセイ・クロパトキンとアナトリー・ステッセルです
前者は保守的で、後者は頑固で好戦的でした
アナトリー・スティセルの頑固さで、港の防衛に失敗もしています
日本は多くの優れた司令がいました
東郷平八郎は海上での戦いのエキスパートでした
多くの経験を持ち、イギリスで戦術も学んでいます
乃木希典は日本史で英雄のように扱われています
侍のような精神を持った人でした
大山巌も侍のようでした
多くの大戦の経験から戦術に長けていました
この時点でリーダーに関しては日本が勝っていたことが分かります
戦略をみていきましょう
ロシアは1856年にイギリスやフランス、トルコを負かしました
そのあとロシアは強制的な徴兵を縮小しました
これにより学業がすすみ以前のロシアのありかたの理解が深まりました
1902年までには軍事予算が30%から18%まで削減されました
以前のおよそ半分の力になっていたことが分かります
構えて打て!ということを教えてもいました
日本をみていきましょう
1853に黒船が来てから、鎖国が終わり現代化が進みました
従来の伝統を好きな人はこれを嫌いました
1868年には明治天皇と幕府がぶつかりました
そのあと現代日本ができあがったのです
帝国軍も生まれました
フランスとドイツのアドバイザーからの協力もありました
命令系統の改変を行いました
1873年の徴兵により軍人の数が倍増しました
しかしGDPなどはロシアに大きく負けていました
しかし、戦術や物の流れなどをうまく使ったのです
日本の行動は早く、ロシアは守りに入っていたのです
満州におけるロシアの不在をうまく活用したのです
テクノロジーを見ていきましょう
ロシア軍のほとんどがナガン・ライフルを装備していました
その利便性から今でも多くの種類の生産が続けられています
日本はアリサカ・ライフル30でした
ロシアはパワフルなマキシムマシンガンを持っていました
日本のホチキスマシンガンとは比べ物にならない良い性能でした
海上では同じ力をもつ船が使われていました
しかし東郷平八郎はイギリスの戦術を用いていました
艦艇での行動などをより効率的なものにしていたのです
物流に関してみていきましょう
ロシアの問題は鉄道が途中までしかなく、武器不足で健康状態も良くありませんでした
それに、戦うのではなく武力を見せつけることが目的でした
満州や韓国に影響を与えましたが、長くは続かず、日本軍が展開してきたのです
技術的にも日本はロシアに勝っていたのです
2月8日1904年にポートアーサーに陣取っていたロシア艦隊を日本海軍が攻撃しました
南昌での戦いなどで圧倒もしています
ロシアは1904年7月30日から1905年1月5日までのポート・アーサーの防衛に失敗しています
1904年の黄海での戦いではヴィリゲリム・ヴィトゲフトと東郷平八郎が対峙しました
そこでヴィリゲリム・ヴィトゲフトは破れています
アレクセイ・クロパトキンと大山巌が対峙した際も勝っています
10月5日から17日における戦いでも日本の2倍の戦死者を出して負けています
ロシアでは革命も起き、休むことなく援軍は帰国しました
2月20日から3月10日の戦いはアレクセイ・クロパトキンと大山巌の最後の戦いでした
60万の兵士が動員され、歴史的にも最大級の戦争となりました
1905年には東郷平八郎と対馬湾での戦争がありました
日本側は数百人であったのが、ロシアでは4000人の死者がでました
海兵のほとんどがなくなっています
その後1905年9月5日にポーツマス条約が締結されました
みてくれてありがうございました
またお会いしましょう
彼らが負けたのはあのおかしな艦隊があったからだよ
それで日本に勝てるなんて思っていたからだな
↑あの艦隊はアメリカ人によって作られたみたいだよ
ユダヤ系のアメリカ人にね
↑日本人は自国の戦艦を作り上げられたよ
急速に現代化してたし、政府もヨーロッパに大きく傾倒していたしね
どのように作るのかもしっかりと学んでいたからな
でも誰もお金は渡してなかったよ
ユダヤ人はなんにも悪いことなんかしてないよ
しっかり歴史を学習してから話をしなきゃね
負けた40年後にロシアは仕返しをしたよね
第二次世界大戦のときに満州と朝鮮半島を独立させたもんね
↑そして、日本は今や経済的にも文化的にもより強力だよね
ロシアは国内は酷い有様だけどね
私のイメージではロシアは軍人を動員し続ける感じだね
少なくともそれで敵を圧倒して勝つみたいだよな
↑この戦争で日本人はロシアより戦死者が出たよ
ロシアも数的有利ではなかったけどね
日本がイギリスの海戦技術と戦術を輸入したことは分かったね
なぜなら日本は海戦に強く、ロシアは陸上戦に強かったからだよ
日露戦争は主に海戦だったからね
日本はイギリス海軍からよく訓練されてたから強かったんだよ
日本人でありながら艦艇では英語しか話さなかった事実があるよ
ロシアはヨーロッパの力じゃなくてユーラシアの力だよ
↑いやロシアはヨーロッパの力だよ
他の領土が植民地のようにみえるでしょうに
いっていることは、イギリスはヨーロッパの力じゃないよってことだよ
アメリカの傘下だからねってね
もしロシアが技術と社会的集束と経済と、良い軍隊に力を入れたこと考えてよ
そんなのみたくないね
他の世界になってしまうよ
大きな力は大きな責任がともなうって思ってほしいね
これをみているとどちらがヨーロッパなのかがわからなくなるな
1、軍事力だけにお金を掛けて東に侵攻していった
2、日本が得意とする海戦に勝てるとタカをくくっていた
3、ヨーロッパであるから侵攻できるわけじゃない
ってことだね
とってもシンプルなことだったね
ロシアは適応するのを避けてたしね
日本は欧米のテクノロジーをバンバンいれてたからな
↑それは実際違うな、、、
動画で指摘してたことをみてみなよ
ロシアは物流系統で大きな問題を抱えていたんだよ
軍事費だけでなくてね
大きく展開しすぎた結果だね
↑それにダメダメな司令官たちのせいでもあるね
↑そうだねヨーロッパや北米にまさるなら、同じように変革しないとね
近代化しないといけないって証明だったな
非ヨーロッパ諸国のモデルだよな
↑日本はいつも驚かしてくれる
全てが早くて、海外のものにすぐに適応するからね
鎖国状態から産業革命の社会まで一気に駆け上がったよな
時代遅れの戦略だったけど力強い国になったよね
ヨーロッパとアメリカが介入しなければ、第一次世界大戦で中国を収めてたのにね
↑この話は、アジアの独立とナショナリズムの始まりに関してでもあったね
https://www.youtube.com/watch?v=CErQlcG9dMw
投稿者
どのようにロシアは日露戦争で負けたのか?/アニメで歴史
日露戦争はアジアの国がヨーロッパに対抗する力を見せつけました
近代の戦争として、ロシアが負けるとは言いがたいです
でも国内でも崩壊があったのです
日本は世界的に力を示したのです
今回は政治的に外交的な面で、日露戦争を話す訳ではありません
なぜ起きたのか、そしてなぜロシアが負けたのかを話していきます
2人の海軍の軍人が配属されました
一人はヴィリゲリム・ヴィトゲフト准将です
もう一人はジノビ・ローズチェンスキー副准将です
准将は1等巡洋艦隊を率いていました
しかし決断力が乏しく、決断する前に終わりを迎えました
世界を変える前に黄海の戦争で亡くなりました
これで、ロシア海軍を率いるのは一人になりました
2等巡洋艦隊を率いるジノビ・ローズチェンスキーです
非常に気が短く、マッドドッグとのあだ名もついていました
イギリスと手を組んでいると思ったイギリス艦隊を攻撃したくらいです
イギリスとの開戦があるところでした
二人の司令もいましたアレクセイ・クロパトキンとアナトリー・ステッセルです
前者は保守的で、後者は頑固で好戦的でした
アナトリー・スティセルの頑固さで、港の防衛に失敗もしています
日本は多くの優れた司令がいました
東郷平八郎は海上での戦いのエキスパートでした
多くの経験を持ち、イギリスで戦術も学んでいます
乃木希典は日本史で英雄のように扱われています
侍のような精神を持った人でした
大山巌も侍のようでした
多くの大戦の経験から戦術に長けていました
この時点でリーダーに関しては日本が勝っていたことが分かります
戦略をみていきましょう
ロシアは1856年にイギリスやフランス、トルコを負かしました
そのあとロシアは強制的な徴兵を縮小しました
これにより学業がすすみ以前のロシアのありかたの理解が深まりました
1902年までには軍事予算が30%から18%まで削減されました
以前のおよそ半分の力になっていたことが分かります
構えて打て!ということを教えてもいました
日本をみていきましょう
1853に黒船が来てから、鎖国が終わり現代化が進みました
従来の伝統を好きな人はこれを嫌いました
1868年には明治天皇と幕府がぶつかりました
そのあと現代日本ができあがったのです
帝国軍も生まれました
フランスとドイツのアドバイザーからの協力もありました
命令系統の改変を行いました
1873年の徴兵により軍人の数が倍増しました
しかしGDPなどはロシアに大きく負けていました
しかし、戦術や物の流れなどをうまく使ったのです
日本の行動は早く、ロシアは守りに入っていたのです
満州におけるロシアの不在をうまく活用したのです
テクノロジーを見ていきましょう
ロシア軍のほとんどがナガン・ライフルを装備していました
その利便性から今でも多くの種類の生産が続けられています
日本はアリサカ・ライフル30でした
ロシアはパワフルなマキシムマシンガンを持っていました
日本のホチキスマシンガンとは比べ物にならない良い性能でした
海上では同じ力をもつ船が使われていました
しかし東郷平八郎はイギリスの戦術を用いていました
艦艇での行動などをより効率的なものにしていたのです
物流に関してみていきましょう
ロシアの問題は鉄道が途中までしかなく、武器不足で健康状態も良くありませんでした
それに、戦うのではなく武力を見せつけることが目的でした
満州や韓国に影響を与えましたが、長くは続かず、日本軍が展開してきたのです
技術的にも日本はロシアに勝っていたのです
2月8日1904年にポートアーサーに陣取っていたロシア艦隊を日本海軍が攻撃しました
南昌での戦いなどで圧倒もしています
ロシアは1904年7月30日から1905年1月5日までのポート・アーサーの防衛に失敗しています
1904年の黄海での戦いではヴィリゲリム・ヴィトゲフトと東郷平八郎が対峙しました
そこでヴィリゲリム・ヴィトゲフトは破れています
アレクセイ・クロパトキンと大山巌が対峙した際も勝っています
10月5日から17日における戦いでも日本の2倍の戦死者を出して負けています
ロシアでは革命も起き、休むことなく援軍は帰国しました
2月20日から3月10日の戦いはアレクセイ・クロパトキンと大山巌の最後の戦いでした
60万の兵士が動員され、歴史的にも最大級の戦争となりました
1905年には東郷平八郎と対馬湾での戦争がありました
日本側は数百人であったのが、ロシアでは4000人の死者がでました
海兵のほとんどがなくなっています
その後1905年9月5日にポーツマス条約が締結されました
みてくれてありがうございました
またお会いしましょう
彼らが負けたのはあのおかしな艦隊があったからだよ
それで日本に勝てるなんて思っていたからだな
↑あの艦隊はアメリカ人によって作られたみたいだよ
ユダヤ系のアメリカ人にね
↑日本人は自国の戦艦を作り上げられたよ
急速に現代化してたし、政府もヨーロッパに大きく傾倒していたしね
どのように作るのかもしっかりと学んでいたからな
でも誰もお金は渡してなかったよ
ユダヤ人はなんにも悪いことなんかしてないよ
しっかり歴史を学習してから話をしなきゃね
負けた40年後にロシアは仕返しをしたよね
第二次世界大戦のときに満州と朝鮮半島を独立させたもんね
↑そして、日本は今や経済的にも文化的にもより強力だよね
ロシアは国内は酷い有様だけどね
私のイメージではロシアは軍人を動員し続ける感じだね
少なくともそれで敵を圧倒して勝つみたいだよな
↑この戦争で日本人はロシアより戦死者が出たよ
ロシアも数的有利ではなかったけどね
日本がイギリスの海戦技術と戦術を輸入したことは分かったね
なぜなら日本は海戦に強く、ロシアは陸上戦に強かったからだよ
日露戦争は主に海戦だったからね
日本はイギリス海軍からよく訓練されてたから強かったんだよ
日本人でありながら艦艇では英語しか話さなかった事実があるよ
ロシアはヨーロッパの力じゃなくてユーラシアの力だよ
↑いやロシアはヨーロッパの力だよ
他の領土が植民地のようにみえるでしょうに
いっていることは、イギリスはヨーロッパの力じゃないよってことだよ
アメリカの傘下だからねってね
もしロシアが技術と社会的集束と経済と、良い軍隊に力を入れたこと考えてよ
そんなのみたくないね
他の世界になってしまうよ
大きな力は大きな責任がともなうって思ってほしいね
これをみているとどちらがヨーロッパなのかがわからなくなるな
1、軍事力だけにお金を掛けて東に侵攻していった
2、日本が得意とする海戦に勝てるとタカをくくっていた
3、ヨーロッパであるから侵攻できるわけじゃない
ってことだね
とってもシンプルなことだったね
ロシアは適応するのを避けてたしね
日本は欧米のテクノロジーをバンバンいれてたからな
↑それは実際違うな、、、
動画で指摘してたことをみてみなよ
ロシアは物流系統で大きな問題を抱えていたんだよ
軍事費だけでなくてね
大きく展開しすぎた結果だね
↑それにダメダメな司令官たちのせいでもあるね
↑そうだねヨーロッパや北米にまさるなら、同じように変革しないとね
近代化しないといけないって証明だったな
非ヨーロッパ諸国のモデルだよな
↑日本はいつも驚かしてくれる
全てが早くて、海外のものにすぐに適応するからね
鎖国状態から産業革命の社会まで一気に駆け上がったよな
時代遅れの戦略だったけど力強い国になったよね
ヨーロッパとアメリカが介入しなければ、第一次世界大戦で中国を収めてたのにね
↑この話は、アジアの独立とナショナリズムの始まりに関してでもあったね
https://www.youtube.com/watch?v=CErQlcG9dMw