- Date: Fri 20 04 2018
- Category: 歴史
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海外「神話だと思ってた…」日本の邪馬台国の歴史と卑弥呼の存在に海外興味津々(海外反応)
海外「神話だと思ってた…」日本の邪馬台国の歴史と卑弥呼の存在に海外興味津々(海外反応)
投稿者
弥生時代、何年にもわたる戦いを制して邪馬台国が台頭した 邪馬台国がどこにあったかはいまだ議論の的だが、それは学者に任せておくとして
弥生時代の王国のうち30か国が中国と交流していた 弥生の王国はひとつにまとまり、卑弥呼を女王とした 彼女は日本の歴史のなかで最も早く名前の残っている女性である
ヒミコとは古代の日本語で太陽の子ども、もしくは太陽の娘、太陽の王女といった意味である 人々に崇められていたことが分かる名前だ 神道で最も重要な神、アマテラスは太陽の女神と言う意味だったことを忘れてはならない 日本の天皇はみな、このアマテラスの子孫だという
邪馬台国は30か国を支配した これが弥生時代の王国のすべてというわけではないだろう 邪馬台国とほかの王国との戦いもあったことから、邪馬台国のほかにも強い力を持つ国があったことが分かる
卑弥呼は強い女だった 未婚のまま、170年から248年まで生きた 1000人の女性の召使、100人の男性ガードマン、そしてひとりの男性の家来…名前はわからないが、彼が食事を運び、人々との連絡役となった
なぜ連絡役が必要だったか? 卑弥呼はシャーマンであり、人々とは別に暮らしていたからだ その宮殿は塀に囲まれ、塔には監視役が立ち、武装した警備員に守られていた そこから連絡役が卑弥呼の命令を外の世界へ伝えたのだ これは記録には残っていないが、おそらく連絡役は卑弥呼の恋人だったのだろう
卑弥呼には弟もいた 中国の記録によれば弟も権力を持っており、おそらく弟が王国の統治をし、姉は神秘の暮らしをしていたのだろう
ただし忘れてはいけないのは、これらはすべて中国人による記録だということだ 弥生時代に文書を残すシステムはなかった そして当時の日本では、王が他国の大使と直接会うことはなかった だから中国側が、邪馬台国の政治を動かしているのは弟だと誤解していたという可能性もある
とはいえ、もし卑弥呼が宗教的な部分にしか関与していなかったとしても、弟より権力がなかったということではない むしろシャーマンの方が絶対的な権力があったからだ 弥生人は進行深く、シャーマンのいうことは絶対だった 卑弥呼が力を持ったのは軍事力でも国の安泰のためでもなく、宗教的な理由からだった
卑弥呼も、卑弥呼の跡を継いだ女性リーダーも、まだ10代のころに権力を得た 若いうちに力を得たのは宗教的なことが理由であろう
邪馬台国が治めていた多くの王国でも、それぞれにシャーマンがいた 軍事的な信託はそれらに任せ、卑弥呼はもっと宗教的な部分を担っていたようだ
中国の記録によれば、卑弥呼は邪馬台国を魔術と占いによって治めていた ある学者は卑弥呼には政治的な力も備わっていたという だからこそ長く王権を保てたのだと
邪馬台国と中国のあいだに交流があったという記録は残っていない 卑弥呼が治めている時代のあいだに、漢は崩壊し三つの国に分かれた そのうちのひとつ、魏には邪馬台国からの使者があったという記録が残っている 邪馬台国は漢の時代と同様、朝貢を行ったので、魏王は卑弥呼に「倭の女王」という称号と金印、そして弥生人が欲しくてたまらなかった銅鏡を贈った
弥生時代の社会的な構造は後に氏という家で決まっていく 弥生時代の政治は家同士の宗教対決が主体であった まだ政教分離の原則がなかったからね 神話の世界も現実社会もごちゃまぜだった
家は単なる社会的・政治的なまとまりではなく、宗教的な団体でもあった それぞれの家にそれぞれの神がついていて、家の首長はその神から権力を得ていた
つまりヒミコ、太陽の娘という名前は太陽、そしてアマテラスを信仰する家の首長だったことを意味する アマテラスの力を得た王が、家臣たちに力を与えるというこの権力構造は、1950年代まで続いた
卑弥呼は、他国との戦争の記録はあるものの、50-60年間平和に統治した 彼女の治世に大きな問題はなく、民は彼女を愛していた 中国の記録でも、彼女が多くの国を支配していることを称えている また民も良い暮らしをしていたようだ 妻は嫉妬をせず、泥棒はおらず、税金はすぐ集まり、市場はすべての県に開かれていた
卑弥呼が248年に亡くなると、100m四方の巨大な墓が作られたという そして100人の召使が殉死し、同じ墓に収められた
その後はどうなったか? 残念ながら、邪馬台国は分裂した 男性の王が立ったが、あまりうまくいかず混乱と内戦がおこったため、卑弥呼の親族でイヨという13歳の少女がリーダーとなり、国は平穏を取り戻した
その後は…記録がない! わからないんだ! 邪馬台国は滅んだのか? それとも、大和朝廷となったのか? 残念ながらわからないので、この続きはないよ!
日本の歴史を学び始めたところだけど、この動画はいいね 続きが見たいよ
卑弥呼は中国の三国時代と同じころの人だということが分かった その時代にタイムスリップしてみたいね
絵がすごくいいよ
卑弥呼の恋人ってアイヌだったのかな…
日本人だけど、この動画はすごくいいよ! 古代の日本には女性がたくさん登場するんだ
↑それは興味深い 古代史のなかでの女王の重要性を考えたことがなかった
↑ヒミコっていうのは中国人が考えたかわいい日本人女性の民話かと
↑日本の女性は中国やヨーロッパの女性よりいろいろな歴史に登場するね 徳川時代になってからはそうでもないけど
卑弥呼って神話の人物だと思ってた
エンディングが面白かった
ときどきコメディなのが笑える
これ日本人がもっと見るといいのにな
トゥームレイダーって真実の歴史に基づいていたんだね でも歴史の方が面白いや
卑弥呼大好き! もっといろんな発見があって、彼女に光が当たるといいのに
細かいことだけど 神の力があったのは1950年代までじゃないよ
現代のアジア人は古代のアジア人とは違うんだね
ヒミコっていうのは太陽の巫女と言う意味じゃないかな
ポップカルチャーふうに歴史を学べるのはいいね
https://www.youtube.com/watch?v=O6PTn6R7yIQ
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弥生時代、何年にもわたる戦いを制して邪馬台国が台頭した 邪馬台国がどこにあったかはいまだ議論の的だが、それは学者に任せておくとして
弥生時代の王国のうち30か国が中国と交流していた 弥生の王国はひとつにまとまり、卑弥呼を女王とした 彼女は日本の歴史のなかで最も早く名前の残っている女性である
ヒミコとは古代の日本語で太陽の子ども、もしくは太陽の娘、太陽の王女といった意味である 人々に崇められていたことが分かる名前だ 神道で最も重要な神、アマテラスは太陽の女神と言う意味だったことを忘れてはならない 日本の天皇はみな、このアマテラスの子孫だという
邪馬台国は30か国を支配した これが弥生時代の王国のすべてというわけではないだろう 邪馬台国とほかの王国との戦いもあったことから、邪馬台国のほかにも強い力を持つ国があったことが分かる
卑弥呼は強い女だった 未婚のまま、170年から248年まで生きた 1000人の女性の召使、100人の男性ガードマン、そしてひとりの男性の家来…名前はわからないが、彼が食事を運び、人々との連絡役となった
なぜ連絡役が必要だったか? 卑弥呼はシャーマンであり、人々とは別に暮らしていたからだ その宮殿は塀に囲まれ、塔には監視役が立ち、武装した警備員に守られていた そこから連絡役が卑弥呼の命令を外の世界へ伝えたのだ これは記録には残っていないが、おそらく連絡役は卑弥呼の恋人だったのだろう
卑弥呼には弟もいた 中国の記録によれば弟も権力を持っており、おそらく弟が王国の統治をし、姉は神秘の暮らしをしていたのだろう
ただし忘れてはいけないのは、これらはすべて中国人による記録だということだ 弥生時代に文書を残すシステムはなかった そして当時の日本では、王が他国の大使と直接会うことはなかった だから中国側が、邪馬台国の政治を動かしているのは弟だと誤解していたという可能性もある
とはいえ、もし卑弥呼が宗教的な部分にしか関与していなかったとしても、弟より権力がなかったということではない むしろシャーマンの方が絶対的な権力があったからだ 弥生人は進行深く、シャーマンのいうことは絶対だった 卑弥呼が力を持ったのは軍事力でも国の安泰のためでもなく、宗教的な理由からだった
卑弥呼も、卑弥呼の跡を継いだ女性リーダーも、まだ10代のころに権力を得た 若いうちに力を得たのは宗教的なことが理由であろう
邪馬台国が治めていた多くの王国でも、それぞれにシャーマンがいた 軍事的な信託はそれらに任せ、卑弥呼はもっと宗教的な部分を担っていたようだ
中国の記録によれば、卑弥呼は邪馬台国を魔術と占いによって治めていた ある学者は卑弥呼には政治的な力も備わっていたという だからこそ長く王権を保てたのだと
邪馬台国と中国のあいだに交流があったという記録は残っていない 卑弥呼が治めている時代のあいだに、漢は崩壊し三つの国に分かれた そのうちのひとつ、魏には邪馬台国からの使者があったという記録が残っている 邪馬台国は漢の時代と同様、朝貢を行ったので、魏王は卑弥呼に「倭の女王」という称号と金印、そして弥生人が欲しくてたまらなかった銅鏡を贈った
弥生時代の社会的な構造は後に氏という家で決まっていく 弥生時代の政治は家同士の宗教対決が主体であった まだ政教分離の原則がなかったからね 神話の世界も現実社会もごちゃまぜだった
家は単なる社会的・政治的なまとまりではなく、宗教的な団体でもあった それぞれの家にそれぞれの神がついていて、家の首長はその神から権力を得ていた
つまりヒミコ、太陽の娘という名前は太陽、そしてアマテラスを信仰する家の首長だったことを意味する アマテラスの力を得た王が、家臣たちに力を与えるというこの権力構造は、1950年代まで続いた
卑弥呼は、他国との戦争の記録はあるものの、50-60年間平和に統治した 彼女の治世に大きな問題はなく、民は彼女を愛していた 中国の記録でも、彼女が多くの国を支配していることを称えている また民も良い暮らしをしていたようだ 妻は嫉妬をせず、泥棒はおらず、税金はすぐ集まり、市場はすべての県に開かれていた
卑弥呼が248年に亡くなると、100m四方の巨大な墓が作られたという そして100人の召使が殉死し、同じ墓に収められた
その後はどうなったか? 残念ながら、邪馬台国は分裂した 男性の王が立ったが、あまりうまくいかず混乱と内戦がおこったため、卑弥呼の親族でイヨという13歳の少女がリーダーとなり、国は平穏を取り戻した
その後は…記録がない! わからないんだ! 邪馬台国は滅んだのか? それとも、大和朝廷となったのか? 残念ながらわからないので、この続きはないよ!
日本の歴史を学び始めたところだけど、この動画はいいね 続きが見たいよ
卑弥呼は中国の三国時代と同じころの人だということが分かった その時代にタイムスリップしてみたいね
絵がすごくいいよ
卑弥呼の恋人ってアイヌだったのかな…
日本人だけど、この動画はすごくいいよ! 古代の日本には女性がたくさん登場するんだ
↑それは興味深い 古代史のなかでの女王の重要性を考えたことがなかった
↑ヒミコっていうのは中国人が考えたかわいい日本人女性の民話かと
↑日本の女性は中国やヨーロッパの女性よりいろいろな歴史に登場するね 徳川時代になってからはそうでもないけど
卑弥呼って神話の人物だと思ってた
エンディングが面白かった
ときどきコメディなのが笑える
これ日本人がもっと見るといいのにな
トゥームレイダーって真実の歴史に基づいていたんだね でも歴史の方が面白いや
卑弥呼大好き! もっといろんな発見があって、彼女に光が当たるといいのに
細かいことだけど 神の力があったのは1950年代までじゃないよ
現代のアジア人は古代のアジア人とは違うんだね
ヒミコっていうのは太陽の巫女と言う意味じゃないかな
ポップカルチャーふうに歴史を学べるのはいいね
https://www.youtube.com/watch?v=O6PTn6R7yIQ