- Date: Fri 12 04 2019
- Category: 歴史
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海外「こういう歴史も大事だと思う…」平安時代の農民の暮らしに海外興味津々(海外反応)
海外「こういう歴史も大事だと思う…」平安時代の農民の暮らしに海外興味津々(海外反応)
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今日はごく普通の農民夫婦の話を
平安時代は文化や貴族の暮らしで知られている でもそれは人口のごく一部 貴族はほとんどが平安京の内部に住んでいた 当時の日本の人口は600-700万人 そのうち都に住んでいたのは10万から15万人 貴族は全人口から見ればわずか1-2%であり、そのなかで政治を動かしていたのはわずかに100-125人だった
都の外は米作を中心とする農耕文化 当時はまだ村落もなかった 住居どうしは離れていて、それぞれが独立して暮らしていた 通常は100mくらい離れていた 1つの家族は大人数が普通で、だいたい8-10人が一緒に暮らしていた
農民同士の結婚も、だいたい貴族と同じ 妻は家にいて、夫が通ってきて種付けをするスタイル 新婚とはいえ、ふたりで新しい家に引っ越したりはしない それぞれが、それぞれの親の家で別々に暮らし、夜になると夫が通ってくる 終われば家に帰るのだ 生まれた子どもは妻の家で育てられた 夫婦はずっと別々というわけではなく、だいたいは5、6年ほど結婚生活が続くと一緒に暮らすようになった
こういった結婚形態は、面白い家族構成を作り上げた 子どもは家にたくさん人がいるからいつも誰かが面倒を見ていて、母親は祖母や姉妹に子どもを預けて農作業に出ることもできる 夫の家にいるよりも自由に暮らすことができた 引き換え夫は両親の家で肩身の狭い思いをしながら、詩を書いたりしていた またこのために、家の権力は老人が握ることになった それなら、若者は家を出ればよかったのでは?と思うだろう だが、米作は、きついのだ アジアの農民が田んぼで作業をしている風景を見たことはあるだろうか? これは苗つけという作業 平安時代に広まった方式だ それ以前の米作は単純に種を土に植え、水をやる、それだけだった これは直接種植えという方法 苗つけとは大違い 苗つけの方法はそれ以前からあったが、面倒だとみなやらなかったのだ
苗つけは、まず種を植えて乾燥した土のなかで苗を育てる それから田んぼを平らにならす 苗が育ったら、田んぼに水を入れ、苗をひとつずつ田んぼに植えていくのだ 広い田んぼにい本ずつ苗をびっしり植えるのである しかも、土をちょうどいい水分に保たなくてはならない 水が多すぎても、苗は育たないのだ 刈り入れ時期が近づくと田んぼから水を抜き、実を成熟させて収穫となる だが苗つけには1家族では人手が足りない だからほかの家族の手助けがいるのだ
新婚夫婦が若い二人だけでは生活できないのだ 農作業に多くの人出がいるのだから ふたり暮らしでは、農業はやっていけないのである 農民には税も負担になったが、それでも大もうけしたものはいた 当時誰のものでもない土地は公共の土地であり、平民が自由に使ってよかった だからみなそこで家畜を飼ったり、木を切ったり、ポケモンを捕まえたりしていたのだ
だが時代が下ると、国は開拓されていない土地をどんどん寺や神社、力のある武士たちに寄進した 自由に放牧できなくなった馬は、食べるものがなくなり、代わりに稲の束を食べさせられるようになった 馬はほとんどが農耕馬で、農家は干し草を資料として売るという新たな副業を得たのだ また馬を飼うことで出る糞も、肥料として活用された 1年作物を作ることで土地は痩せるが、そこに馬の糞をまけばまた肥沃になり、毎年作物を作ることができる 馬が家にいることで、家族の絆も深まった
苗つけという農法は人が集まり、大きな集落を作るきっかけとなったが、平安時代にはまだそれはない 平安時代の農家はまだ、1軒1軒が離れていた 村落ができ、共同体となるのは鎌倉時代のことである
子どもができれば、すべて解決!
以前、古い農法で稲作に挑戦したことがある 学校でだけど、あれはかなり大変だった
↑楽しそう いい経験だね
こういう結婚生活は人類すべてにとって最高だよ! ぜひ取り入れよう!
↑別居婚って最高だよね
↑農民はよくわかっていたんだ
それ以前の時代には、集まって生活していなかったの?
生き延びるために必要なのは、馬の糞と子どもだな
↑ほんとそれ
中世ヨーロッパでも似たような感じだよ クロフターとか、コッターとか言われる農民集団がいたはず
↑それもっと知りたい
もっとたくさん米を作ろう、ということから革命が起こったんだ
農地を押さえれば、多くの食料を押さえることになり、それで王になれる
↑それよりみんなに分け与えられる人になれよ
このころのポケモンはまだポケボールじゃなかったんだろうな
コメがスーパーマーケットのなかで作られているわけじゃないのはわかるけど、それならなんで袋に入ってるんだろう?
平安時代の日本に住むのはたいへんだな その平安時代に女でいるのはもっと大変だっただろう うちのばあちゃんがハワイに移住したのももっともだ
歴史というと支配階級のことばかり教わるけど、こういう農民の歴史も大事だと思う
https://www.youtube.com/watch?v=4sphyOBOjd0
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今日はごく普通の農民夫婦の話を
平安時代は文化や貴族の暮らしで知られている でもそれは人口のごく一部 貴族はほとんどが平安京の内部に住んでいた 当時の日本の人口は600-700万人 そのうち都に住んでいたのは10万から15万人 貴族は全人口から見ればわずか1-2%であり、そのなかで政治を動かしていたのはわずかに100-125人だった
都の外は米作を中心とする農耕文化 当時はまだ村落もなかった 住居どうしは離れていて、それぞれが独立して暮らしていた 通常は100mくらい離れていた 1つの家族は大人数が普通で、だいたい8-10人が一緒に暮らしていた
農民同士の結婚も、だいたい貴族と同じ 妻は家にいて、夫が通ってきて種付けをするスタイル 新婚とはいえ、ふたりで新しい家に引っ越したりはしない それぞれが、それぞれの親の家で別々に暮らし、夜になると夫が通ってくる 終われば家に帰るのだ 生まれた子どもは妻の家で育てられた 夫婦はずっと別々というわけではなく、だいたいは5、6年ほど結婚生活が続くと一緒に暮らすようになった
こういった結婚形態は、面白い家族構成を作り上げた 子どもは家にたくさん人がいるからいつも誰かが面倒を見ていて、母親は祖母や姉妹に子どもを預けて農作業に出ることもできる 夫の家にいるよりも自由に暮らすことができた 引き換え夫は両親の家で肩身の狭い思いをしながら、詩を書いたりしていた またこのために、家の権力は老人が握ることになった それなら、若者は家を出ればよかったのでは?と思うだろう だが、米作は、きついのだ アジアの農民が田んぼで作業をしている風景を見たことはあるだろうか? これは苗つけという作業 平安時代に広まった方式だ それ以前の米作は単純に種を土に植え、水をやる、それだけだった これは直接種植えという方法 苗つけとは大違い 苗つけの方法はそれ以前からあったが、面倒だとみなやらなかったのだ
苗つけは、まず種を植えて乾燥した土のなかで苗を育てる それから田んぼを平らにならす 苗が育ったら、田んぼに水を入れ、苗をひとつずつ田んぼに植えていくのだ 広い田んぼにい本ずつ苗をびっしり植えるのである しかも、土をちょうどいい水分に保たなくてはならない 水が多すぎても、苗は育たないのだ 刈り入れ時期が近づくと田んぼから水を抜き、実を成熟させて収穫となる だが苗つけには1家族では人手が足りない だからほかの家族の手助けがいるのだ
新婚夫婦が若い二人だけでは生活できないのだ 農作業に多くの人出がいるのだから ふたり暮らしでは、農業はやっていけないのである 農民には税も負担になったが、それでも大もうけしたものはいた 当時誰のものでもない土地は公共の土地であり、平民が自由に使ってよかった だからみなそこで家畜を飼ったり、木を切ったり、ポケモンを捕まえたりしていたのだ
だが時代が下ると、国は開拓されていない土地をどんどん寺や神社、力のある武士たちに寄進した 自由に放牧できなくなった馬は、食べるものがなくなり、代わりに稲の束を食べさせられるようになった 馬はほとんどが農耕馬で、農家は干し草を資料として売るという新たな副業を得たのだ また馬を飼うことで出る糞も、肥料として活用された 1年作物を作ることで土地は痩せるが、そこに馬の糞をまけばまた肥沃になり、毎年作物を作ることができる 馬が家にいることで、家族の絆も深まった
苗つけという農法は人が集まり、大きな集落を作るきっかけとなったが、平安時代にはまだそれはない 平安時代の農家はまだ、1軒1軒が離れていた 村落ができ、共同体となるのは鎌倉時代のことである
子どもができれば、すべて解決!
以前、古い農法で稲作に挑戦したことがある 学校でだけど、あれはかなり大変だった
↑楽しそう いい経験だね
こういう結婚生活は人類すべてにとって最高だよ! ぜひ取り入れよう!
↑別居婚って最高だよね
↑農民はよくわかっていたんだ
それ以前の時代には、集まって生活していなかったの?
生き延びるために必要なのは、馬の糞と子どもだな
↑ほんとそれ
中世ヨーロッパでも似たような感じだよ クロフターとか、コッターとか言われる農民集団がいたはず
↑それもっと知りたい
もっとたくさん米を作ろう、ということから革命が起こったんだ
農地を押さえれば、多くの食料を押さえることになり、それで王になれる
↑それよりみんなに分け与えられる人になれよ
このころのポケモンはまだポケボールじゃなかったんだろうな
コメがスーパーマーケットのなかで作られているわけじゃないのはわかるけど、それならなんで袋に入ってるんだろう?
平安時代の日本に住むのはたいへんだな その平安時代に女でいるのはもっと大変だっただろう うちのばあちゃんがハワイに移住したのももっともだ
歴史というと支配階級のことばかり教わるけど、こういう農民の歴史も大事だと思う
https://www.youtube.com/watch?v=4sphyOBOjd0